安田英治
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高校生の時に、浅草の剛柔流本部で大山倍達と初めて出会った。その頃、大山の道場は目白に野天道場を開いていた。安田は顔を出す程度の出入りだったのが、1956年に大山は池袋の立教大学裏に道場を移す。安田は学習院大学空手道部にも所属していたが、掛け持ちで大山道場に通い出し、自らの稽古を重ねた。そして石橋雅史や黒崎健時と共に師範代として、門下生を指導する立場になった。大山茂・岡田博文・渡辺一久・春山一郎[注釈 1]・大山泰彦・千葉真一・郷田勇三・中村忠・加藤重夫・大沢昇ら、後の極真会館を担っていく面々を指導、育成した。株式会社安田通商を設立してからは道場の指導を離れたが[2]、極真会館の相談役を務めていた。2013年死去。
大山茂は「入門した時に3人の大先輩(『華麗で柔の組手の実践者』の石橋。『剛の組手』をした黒崎。そして『予告前蹴り』の安田)がいたが、 (安田さんと同年齢である) 自分にとって『追いつきたかった先輩』だった」と語っている[4]。
組手スタイル
正拳突き・裏拳あご打ち・掌底・背刀打ち・前蹴り・金的蹴りを多用し、特に前蹴りは事前に「前蹴りやるぞ」と相手に伝えておいても、防げないほどの威力とスピードがあったという[2][5]。ある日、大山道場によく出入りしていた太気拳創始者澤井健一が、次々と拳法の動きで初段クラスの3、4人の門下生を、あっという間に倒した[2][5]。大山倍達は「このままではまずい」と思い、安田に澤井と組手をさせる事にした[5]。行う前に大山は安田へ近づき、ボソッと「当てて構わん」と言った[5]。そして組手が始まり、安田の前蹴りで澤井は腸断裂の重傷を負ったという逸話がある[2][5]。なお、その様子は偶然、道場に居合わせた記者の手により写真に収められ、大山倍達の処女作〈What is Karate? (初版)〉に掲載されている[2][5]。