陸奥の桑折(現在の福島県)で半田銀山の役人であった北村新兵衛の子として生まれる。若くして父と死別したが、寺西封元の養子となり、のち封元の子で同地の代官であった寺西元栄の門人となった。1841年(天保12年)江戸に入って塙保己一の四男、塙忠宝および内池永年の門人となり、家塾で国学や和歌を学んだ。
その後桑折に戻って、元栄の指導で妻と共に豊後の日田へ向かうが、移った直後に妻や元栄が急逝し後には奇行が目立つようになった。晩年には、容貌が質素になり貧困に悩まされたが、本居大平や村田春門の指導により諸国を行脚し、独学で多くの和歌集を刊行した。