宗藤大陸
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岡山県久米郡吉岡村(現在の美咲町)出身[4]。1914年(大正3年)から兵庫県で巡査、巡査部長、警部を歴任[4]。1924年(大正13年)に台湾に渡り、警務局勤務、文教局属、新竹市助役、豊原郡守を歴任[4]。1936年(昭和11年)、屏東市尹に就任し、翌年に高雄市尹に転じた[1]。
退官後、台湾製糖株式会社企画部長、同総務部長、高雄州会議員、屏東商業会議所会頭などを務めた[5]。

戦後は函館市助役を経て、坂本森一の急逝をうけて1947年(昭和22年)に市長に選出された[5][6]。戦後の函館再建に尽力したが、1955年(昭和30年)の選挙で敗れた[6]。
市長を辞められてからは函館地域のミニコミ誌『タウン誌「街」』で幾度か執筆している[7]。
