宗重遠
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久留米藩士・宗秀次郎の二男として出生。はじめ小源太あるいは栄と称した[1]。幼少時より津田一伝流開祖津田正之に入門して剣を学び[1]、17歳で免許を得る[3]。
幕末期には藩命により京都御所守衛のために上京、また久留米では常備隊の半隊長を務めた[1]。廃藩後は剣を捨て、1886年(明治19年)から1909年(明治42年)までは地方行政に貢献し、浮羽郡会議員、吉井町町長、椿子村浮羽村組合村長などを歴任した[1]。
後年は剣に復帰し、1921年(大正10年)9月には大日本武徳会から剣道範士号を授与され、天覧試合の栄を受けた[1]。大日本武徳会の試合では門奈正と中山博道に「最も難しい相手だった」と言わしめた[3]。また、学校や軍隊などにおいて剣道の指導に当たった[1]。
1923年(大正12年)、東京府在住の長男宅に隠居[1]。1930年(昭和5年)3月10日没、享年83。墓所は横浜市鶴見区の總持寺にある[2]。