總持寺

横浜市鶴見区にある仏教寺院 From Wikipedia, the free encyclopedia

總持寺(そうじじ)は、神奈川県横浜市鶴見区鶴見二丁目にある曹洞宗仏教寺院永平寺と並ぶ日本曹洞宗の中心寺院(大本山)である[1][2][3]。もとは石川県輪島市門前町(旧能登国櫛比庄)において瑩山紹瑾が1321年に開いた禅寺であり、1898年の火災を機に1911年に現在地へ移転した[4][3]山号は諸嶽山(しょがくさん)[5]本尊釈迦如来寺紋は五七桐。禅の道場として国内外から修行僧が来山するほか、石原裕次郎などの著名人の墓所を有し、広大な伽藍と多くの文化財で知られている[4][6]

所在地 神奈川県横浜市鶴見区鶴見二丁目1番1号
位置 北緯35度30分25.16秒 東経139度40分17.25秒
山号 諸嶽山
宗旨 曹洞宗
概要 總持寺, 所在地 ...
總持寺
大祖堂(だいそどう)
所在地 神奈川県横浜市鶴見区鶴見二丁目1番1号
位置 北緯35度30分25.16秒 東経139度40分17.25秒
山号 諸嶽山
宗旨 曹洞宗
寺格 大本山
本尊 釈迦如来
創建年 伝・奈良時代
開基 伝・行基
中興年 移転:明治44年(1911年
中興 移転:石川素童
札所等 東海三十三観音霊場
鶴見七福神
京浜四大本山
文化財 絹本著色紹瑾和尚像、紙本著色提婆達多像、絹本著色前田利家夫人像、刺繍獅子吼文大法被、観音堂縁起(重要文化財)ほか
公式サイト 曹洞宗大本山總持寺
法人番号 3020005000313 ウィキデータを編集
總持寺の位置(横浜市内)
總持寺
總持寺
總持寺 (横浜市)
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歴史

能登国櫛比庄(現在の石川県輪島市)の真言律宗の教院「諸嶽観音堂」が、「總持寺」の前身である[4][7]。1321年(元亨元年)曹洞宗4世の瑩山紹瑾は、「諸嶽観音堂」への入院を住職定賢から請われる。同年に定賢より「諸嶽観音堂」を寄進され、寺号を「總持寺」、山号は「諸嶽観音堂」にちなみ「諸嶽山」と改名し禅院とする[4][8]。1322年(元亨2年)後醍醐天皇より「曹洞賜紫出世第一の道場」の綸旨を受けて官寺、大本山となり、曹洞宗を公称する。1615年(元和元年)徳川幕府より法度が出され、永平寺と並んで大本山となる。住職を5つの塔頭普蔵院妙高庵洞川庵伝法庵如意庵)から短期間交代で務める輪住制であったが、栴崖奕堂以降独住制となる。1898年(明治31年)火災で焼失する[9][7]

1911年(明治44年)、神奈川県横浜市鶴見区鶴見二丁目の現在地に移転[7]。同年11月19日に開かれた国際オリムピック大会選手予選会では、10000m走のスタート地点となった[10]。石川県輪島市門前町の旧地は總持寺祖院と改称された。

1923年(大正12年)9月1日の関東大震災発生後、同月3日に鶴見警察分署長の大川常吉が同寺に避難していた朝鮮人を保護のため鶴見署へ移送した[11]。翌4日朝には總持寺前で朝鮮人虐殺事件が発生し、その後、加害者は逮捕・起訴された[12]

終戦直前の1945年(昭和20年)8月、總持寺付近(総持寺裏)に駐屯していた東京警備軍横浜警備隊(隊長・佐々木武雄)が、徹底抗戦を唱えて決起を図る事件が発生した[13]

境内

敷地面積は約50万平方メートルあり、横浜市鶴見区の広域避難場所の1つに指定されている[14][15]。境内には仏殿大祖堂をはじめ多くの堂宇があり、鶴見大学などの学校施設もある[16]。本尊釈迦如来像を安置する仏殿よりも、道元、瑩山紹瑾など歴代の祖師を祀る大祖堂の方が規模が大きい[16]

總持寺は、1911年(明治44年)に石川県から神奈川県に移転してきた寺院であるため堂宇の大部分は近代の建立であり、仏殿をはじめとする主要建物の多くは20世紀前半(大正時代 - 昭和時代前期)の本格的な木造建築である[16]。大祖堂、三門などは太平洋戦争後に建立された鉄筋コンクリート造である[16]。他所から總持寺へ移築された建物の中には、近世末期のものも若干ある。

境内には横浜市で起こった鉄道事故である桜木町事故1951年)と鶴見事故1963年)の慰霊碑が建立されている[17]

1970年3月6日には火災があり、常照殿が焼失する[18]

2005年に仏殿など16件の建造物が登録有形文化財に登録されている[19]

伽藍

三松閣
参道と三門
仏殿
香積台(こうしゃくだい)
向唐門(むかいからもん)
大祖堂 内陣
  • 三松関(さんしょうかん)
總持寺の総門。扁額には「三樹松関(さんじゅしょうかん)」と書かれている。總持寺中興の祖とされる石川素童禅師が揮毫した。總持寺の祖院がある能登に、龍の形をした三本の松の木があったことに由来する。建築様式は高麗門で、禅院の総門としては特異である。総門の右奥には新到安下所(しんとうあんげしょ)があり、左側には延命地蔵尊が祀られている。
  • 三門(さんもん)
1969年(昭和44年)落成で、鉄筋コンクリート造りでは日本一の大きさを誇る[20]。三門の左右には金剛力士(仁王)像が置かれ、元横綱・北の湖の15歳の姿をモデルにしたと伝えられる[21][22]。三門楼上には、瑩山が能登に開山するにあたり三門楼上に僧形の観世音菩薩像、地蔵菩薩像を安置したことに因み[20]、観音・地藏の放光菩薩像と十六羅漢像および四天王像が祀られる。三門正面の扁額には總持寺の山号「諸嶽山(しょがくさん)」と書かれており、独住19世・岩本勝俊禅師が揮毫した。
  • 三松閣
1990年(平成2年)竣工。三門の向かって右側にある切妻造り鉄筋コンクリートの建物。地上4階、地下2階、広さ9400平方メートル。檀信徒研修道場、各種セレモニー会場となっており、宿泊施設もある。名前の由来は三松関と同じ。4階にある大講堂の正面には釈迦如来坐像 (木彫、像高0.87メートル)を祀る。
  • 香積台(こうしゃくだい)
総受付。拝観・墓地・法要・参拝等の受付を行う。売店・休憩所も備える。中には大きな「おしゃもじ」と「すりこぎ」がある。建物名称の「香積」とは、「香気が充満している世界」のことで、経典の維摩経香積品によれば、そこに住む如来の名でもあるとされている。転じて、禅門では食事を調理するところの庫院(くいん)、庫裡(くり)を意味する(「庫」は、物を貯える蔵のこと)。正面玄関の扁額は「香積台」と書かれ、独住3世・西有穆山禅師が揮毫した。日本最大といわれる木彫の大黒尊天が祀られている。
  • 慈峰閣(じほうかく)
2006年(平成18年)11月竣工。本山御移転百周年記念事業の一つとして建てられ、総合寺務室の機能を有する。1階は典座寮、直歳寮、布教教化部、2階には副監院寮、尚事寮、録事寮、知庫寮がある。3・4階は東部役寮、修行僧の部屋となっている。
  • 待鳳館(たいほうかん)
1915年(大正4年)竣工。1923年(大正12年)に関東大震災で玄関を除き倒壊。1957年(昭和32年)に東京・千駄ヶ谷の徳川宗家旧書院を移築し旧待鳳館の玄関を接合。總持寺の迎賓館。
  • 紫雲臺(しうんたい)
總持寺の住持・禅師の表方丈の間。宗門の僧侶、全国の檀信徒と親しく相見する大書院。紫雲臺は、禅師の尊称にもなっている。正面玄関の扁額には「紫雲臺」と書かれ、独住3世・西有穆山禅師が揮毫した。書院を区画する襖および板戸には、1920年(大正9年)から1921年(大正10年)にかけて制作された水墨画や彩色画が描かれる。紫雲臺に面する日本庭園・紫雲庭(しうんてい)は、広さ約500坪(1650平方メートル)の池泉回遊式庭園である。1915年(大正4年)に茶道松尾流9世・半古斎宗見宗匠が作庭したと伝えられる。その一隅には茶室・倚松庵がある。
  • 倚松庵(いしょうあん)
  • 侍局【跳龍室】(じきょく)
  • 大祖堂
1965年(昭和40年)竣工。仏殿の向かって右に位置する。高さ36メートル、内部は千畳敷きの大建築。本山開祖・太祖瑩山禅師と高祖道元禅師、二祖・峨山禅師をはじめとして、歴代の諸禅師の頂相を安置し、あわせて諸尊牌をも奉祀する霊場。大祖堂地下は客殿となっており、瑞応殿と呼ばれている。
  • 御霊殿(ごれいでん)
後醍醐天皇の600年御遠忌を記念して1937年(昭和12年)4月に竣工、後醍醐天皇の木像を奉安した[23]
  • 仏殿
1915年(大正4年)に竣工。本尊釈迦如来像を安置する。
  • 放光堂(ほうこうどう)
  • 鐘鼓楼(しょうくろう)
  • 衆寮(しゅりょう)
  • 大僧堂(だいそうどう)
1937年(昭和12年竣工)。設計は伊東忠太[24]
  • 嫡々庵(てきてきあん)(旧、宝物殿)
  • 玉兔門(ぎょくともん)
  • 中雀門(ちゅうじゃくもん)
  • 金鶏門(きんけいもん)
  • 百間廊下(ひゃっけんろうか)
  • 向唐門(むかいからもん)
  • 大駐車場(だいちゅうしゃじょう)
  • 梅壽庵(ばいじゅあん)
  • 穴熊稲荷(あなぐまいなり)
  • 大梵鐘(だいぼんしょう)
1913年(大正2年)鋳造。直径1.9m、高さ3.2m、重量約18.5トン[25]。図案は建築家の渡辺仁、鋳造技師は高橋才治郎と西沢吉太郎[25]。横浜市指定文化財[26]
  • 三寶殿(さんぼうでん)

歴代住持

  • 開山 瑩山紹瑾(佛慈禅師 弘德圓明國師 常濟大師) 1268年 - 1325年
  • 第2世 峨山韶碩(大現宗猷國師) 1275年 - 1365年

輪住(塔頭五院住持の一定期間交替輪番制となる)

  • 普蔵院 - 太源宗眞 - 1370年
  • 妙高庵 - 通幻寂霊 1322年 - 1391年
  • 洞川庵 - 無端祖環
  • 伝法庵 - 大徹宗令 1333年 - 1408年
  • 如意庵 - 実峰良秀 1318年 - 1405年

独住(第3世以前は能登總持寺

  • 第1世 諸岳奕堂(1870年 - 1879年、栴崖奕堂 弘濟慈徳禅師) 1805年 - 1879年
  • 第2世 畔上楳仙(1880年 - 1901年、大岡楳仙 法雲普蓋禅師) 1825年 - 1901年
  • 第3世 西有穆山(1901年 - 1905年、穆山瑾英 直心浄國禅師) 1821年 - 1910年
  • 第4世 石川素童(1905年 - 1920年、牧牛素童 大圓玄致禅師) 1841年 - 1920年
  • 第5世 新井石禅(1920年 - ?年、穆英石禅 大陽真鑑禅師) 1864年 - 1927年
  • 第6世 杉本道山(?年 - 1929年、玄光道山 眞應誠諦禅師) 1847年 - 1929年
  • 第7世 秋野孝道(1929年 - ?年、大忍孝道 黙照圓通禅師) 1857年 - 1934年
  • 第8世 栗山泰音(?年 - 1935年、雷澍泰音 覺同行智禅師) 1860年 - 1937年
  • 第9世 伊藤道海(1935年 - 1940年、天祐道海 無辺光照禅師) 1874年 - 1940年
  • 第10世 鈴木天山(1940年 - 1941年、白龍天山 密傳慈性禅師) 1863年 - 1941年
  • 第11世 大森禅戒(1941年、活龍禪戒) 1871年 - 1947年
  • 第12世 高階瓏仙(1941年 - ?年、玉堂瓏仙 大鑑道光禅師) 1876年 - 1968年
  • 第13世 福山界珠(?年 - 1943年、宝雲界珠 真徳玄光禅師) 1881年 - 1943年
  • 第14世 久我篤立(1943年、実山篤立) 1861年 - 1943年
  • 第15世 佐川玄彝(1943年 - 1944年、訓山玄彝) 1866年 - 1944年
  • 第16世 熊澤泰禪(1944年、祖學泰禪 大光圓心禅師) 1873年 - 1968年
  • 第17世 渡辺玄宗(1944年 - 1957年、本行玄宗 圓鑑不昧禅師) 1869年 - 1963年
  • 第18世 孤峰智璨(1957年 - 1967年、瑩堂智璨 円応至道禅師) 1879年 - 1967年
  • 第19世 岩本勝俊(1967年 - ?年、絶海勝俊 正応天眞禅師) 1891年 - 1979年
  • 第20世 乙川瑾映(?年 - 1982年、形山瑾映 仏海真光禅師) 1902年 - 1982年
  • 第21世 梅田信隆(1982年 - 1996年、快光信隆 眞源宏宗禅師)1906年 - 2000年
  • 第22世 成田芳髄(1996年 - 1998年、得道芳髄 大環正応禅師) 1905年 - 1998年
  • 第23世 板橋興宗(1998年 - 2002年、雲海興宗 閑月即眞禅師) 1927年 - 2020年
  • 第24世 大道晃仙(2002年 - 2011年、大鼎晃仙 慈峰英鑑禅師) 1917年 - 2011年
  • 第25世 江川辰三(2011年 - 2021年、徹玄辰三 大寛眞應禅師) 1928年 - 2021年
  • 第26世 石附周行(2021年 - 、法雲周行 光潤道圭禅師) 1937年 -

文化財

提婆達多像(高麗時代)

重要文化財

重要文化財は、以下の通りである[27][28]

横浜市指定文化財

横浜市指定文化財は、以下の通りである[29]

  • 總持寺茶室倚松庵(建造物) - 1996年(平成8年)11月1日指定。
  • 大梵鐘(工芸品) - 1995年(平成7年)11月1日指定。

登録有形文化財

登録有形文化財は、以下の通りである[19]

  • 三松関(総門)
  • 向唐門
  • 香積台
  • 大僧堂
  • 百間廊下及び門
  • 仏殿
  • 待鳳館
  • 紫雲台
  • 御霊殿
  • 虎嘯窟
  • 放光堂
  • 鐘鼓楼
  • 衆寮
  • 放光観音(ひかりかんのん)台座
  • 鐘楼
  • 三宝殿

関係教育機関

仏教系学校を運営する学校法人総持学園を傘下に持ち、鶴見大学他を山内に置く[4][30]

墓所がある著名人(50音順)

行事

み霊祭り(納涼盆踊り大会)

み霊祭りの盆踊り会場。修行僧の合図に合わせて『一休さん』で踊る来場者

毎年7月中旬の3日間、境内の大駐車場にやぐらを組み「み霊祭り」納涼盆踊り大会を開催する[31][32]。行事は横浜大空襲および鶴見駅列車脱線事故の犠牲者を慰霊し、地域交流を図る目的で1947年に始まり、開催から数年で3 - 4万人規模の行事へ拡大した[7][31]

盆踊りのレパートリーは『一休さん』『ひょっこりひょうたん島』『平和音頭』などで、やぐら上の修行僧がマイクで振付を示し、来場者がそれに合わせて踊る[7][6][32]。とりわけ「一休さん」では、修行僧が観客を盛り上げ、コール&レスポンスやジャンプ等で夏フェスのような熱気が生まれる[7][6][33]。早い時間帯には園児・児童向けの曲(「どうぶつ音頭」など)もかかる[6]。盆踊りの途中には花火(ナイアガラを含む)も催される[32][34]

主催は修行僧の自主団体「三松会」で、司会・太鼓・誘導などの役割を分担して運営する[7][33]。修行僧は20代前半 - 半ばの世代を中心に120人ほど在籍しており、数年の学びの後、地元寺院へ戻ることが多い[7]。この行事は寺主催ではなく修行僧の自主運営のため公式記録が少なく、「一休さん」をいつから踊り始めたかは不明である[7]。振付などは口承で受け継がれ、やぐら上の進行役は経験年数などにより選ばれる[7][33]。やぐらの電飾は駒澤大学美術部が担っている[7]

近年は、動画やSNSによる拡散を背景に十代の来場者が顕著に増え、3日間で10万人を超える規模となった[7][35]。日程は長らく曜日に関係なく7月17日から19日に開催されていたが、2025年は金曜から日曜までの3日間に変更された[31][36]

節分追儺式

節分会の会場となる大祖堂

毎年2月3日に節分追儺式を行い、無病息災や厄除けを祈願する[37][38][39]。「寺には鬼はいない」との考えから掛け声は「福は内」のみで「鬼は外」は行わない[40][38]。長年にわたり有名人が豆まきを行うことで知られ、例年約2000人が参加する[38][37]。故・石原裕次郎の墓所があることから、石原軍団による豆まきが節分会の名物となっていたが[37][41]、三十三回忌(2019年)以後は出演していない[42]。年男・年女の豆まきは事前申込制で、干支に関係なく一般からも参加できる[38]。福豆の配布や福引会、屋台出店など関連行事もあり、地域の大規模節分行事として知られている[38][37]

つるみ夢ひろばin總持寺

毎年秋に、参道や境内などを会場として地域イベントが催される[3][43]。2024年までは11月3日(文化の日)に開催されていたが、2025年は鶴見大学の大学祭と合同で10月に実施された[3][44]。總持寺と区民らで構成する実行委員会が企画し、内容はステージパフォーマンスや特別展示のほか、能登半島地震の復興支援企画、鶴見や能登の物産販売など多岐にわたる[15][43]

行事ギャラリー

交通アクセス

曹洞宗總和会

總持寺を護持する總持寺派の「總和会」がある。永平寺派の「有道会」と並び曹洞宗を二分する。總和会の本部は、東京都港区愛宕2-3-4大本山總持寺出張所内に置かれる[45]。同地には伝叟院がある[46]

支援

当寺院は、自らが所在する横浜市を本拠に活動しているプロサッカークラブ「横浜F・マリノス」への支援組織の一つ「横浜F・マリノス法人会」の会員となっており〔2013年5月15日現在“ゴールドメンバー”会員〕[47]、F・マリノスのシーズン中の必勝祈願を当寺院に於いて執り行っている[48]

脚注

関連項目

外部リンク

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