宝性寺 (四日市市)

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所在地 三重県四日市市蒔田2丁目12-26
位置 北緯35度01分7.8秒 東経136度39分1.6秒 / 北緯35.018833度 東経136.650444度 / 35.018833; 136.650444座標: 北緯35度01分7.8秒 東経136度39分1.6秒 / 北緯35.018833度 東経136.650444度 / 35.018833; 136.650444
山号 龍王山
宗派 単立
宝性寺
所在地 三重県四日市市蒔田2丁目12-26
位置 北緯35度01分7.8秒 東経136度39分1.6秒 / 北緯35.018833度 東経136.650444度 / 35.018833; 136.650444座標: 北緯35度01分7.8秒 東経136度39分1.6秒 / 北緯35.018833度 東経136.650444度 / 35.018833; 136.650444
山号 龍王山
宗派 単立
本尊 十一面観音菩薩像
創建年 天平12年(740年)
別称 蒔田観音
札所等 伊勢西国三十三所28番
文化財 本堂(市指定)
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宝性寺(ほうしょうじ)は、三重県四日市市蒔田にある単立寺院[1]。通称は蒔田観音(まいたかんのん)。山号は龍王山[1]。本尊は十一面観音菩薩像[1]伊勢西国三十三所観音霊場第28番札所[1]

創建

天平12年(740年)に聖武天皇がこの地に巡幸した際、勅願によって宝性寺が建立されたと伝わる[2][3]。もとは天台宗の寺院だった[2]。本尊は十一面観音菩薩像であり、近江国石山寺の開基である良弁僧正の作と伝わる[3]

近世

戦国時代までは広大な境内に七堂伽藍を有していたが、永禄11年(1568年)、織田信長の家臣である滝川一益による伊勢長島一揆攻略の戦火で焼失した[3]。なお、この旧寺地には宝性寺や堂前という地名が残っている[1]。この時期の信長の兵火によって焼失した四日市市域の寺院には、富田の長興寺、茂福の洪恩寺、大鐘の西徳寺、垂坂の観音寺、南鵤の大膳寺、尾平の永代寺、芝田の善明寺、石塚の赤堀中寺、中河原の吉祥寺、西日野の安国寺、室山の法蔵寺、泊の光明寺などもある[4]

正徳元年(1711年)2月15日夜、長明寺9世の旦芸上人と庄屋の甚五兵衛の夢に火災のお告げがあり、堂の前に水を蓄えた桶が準備されていたことで、本尊は焼失を免れた[5]。堂宇はこの際の火災で焼失したが、享保4年(1719年)6月には第6代桑名藩松平忠雅の寄進によって再建された[1]

現在の本堂は文化11年(1814年)頃に再建されたとされる[3]

近代・現代

1977年(昭和52年)10月6日、本堂が四日市市指定文化財に指定された[2][1]。同年には観音寺山門も四日市市指定文化財に指定されているが、この2棟は最も早く指定された建築物である[6]

2006年(平成18年)12月28日には北側集会所が漏電によって焼失したが、自治会長夫妻がたまたま宝性寺の清掃に訪れたことで類焼は免れ、近隣住民は本尊の霊験であるとして感嘆した[5]。本尊は毎年8月の祭礼日に開帳される[5]

境内

  • 本堂
  • 阿弥陀堂
  • 手水舎
  • 撫で佛
  • 鳥居
  • 神明神社

建築

  • 本堂 - 周囲に縁が付けられ、正面に向拝のある三間四方の本堂である[7]。三重県の「真言・天台宗の本堂及びそれに類する仏堂」において裳階屋根は異色であるとされ、宝性寺のほかには、四日市市寺方町の大日寺本堂、津市一志町の東光寺本堂がある[8]。向拝の柱や頭貫には唐獅子の彫刻がみられる。内部の手前は6畳敷の外陣である[7]。奥側は須弥壇のある内陣であり、厨子に本尊の十一面観音菩薩像が安置されている[7]。内陣と外陣の境の欄干には雲龍の彫刻がみられる[7]

文化財

市指定文化財

  • 本堂 - 1977年(昭和52年)10月6日、四日市市指定文化財に指定された[1]

交通アクセス

脚注

参考文献

外部リンク

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