宮川一彦

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宮川 一彦(みやかわ かずひこ、1969年2月23日 - )は、東京都葛飾区出身の元プロ野球選手内野手)。

国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1969-02-23) 1969年2月23日(57歳)
身長
体重
182 cm
82 kg
概要 ZENKO BEAMS ヘッドコーチ #36, 基本情報 ...
宮川 一彦
ZENKO BEAMS ヘッドコーチ #36
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都葛飾区
生年月日 (1969-02-23) 1969年2月23日(57歳)
身長
体重
182 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手
プロ入り 1990年 ドラフト2位
初出場 1991年4月6日
最終出場 1998年10月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • ZENKO BEAMS
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来歴・人物

静清工業高時代は、3番・遊撃手として活躍。東北福祉大学では、2番を打ち俊足巧打の外野手として4年春ベストナイン(秋は二塁手)に選出された。4年次には大学選手権で準優勝、日米大学野球にも選出。大学通算打率.320 8本塁打。1学年上に佐々木主浩大塚光二、同期に矢野燿大、1学年下に斎藤隆金本知憲らがいた。

1990年のプロ野球ドラフト会議横浜大洋ホエールズから2位指名を受け入団。

即戦力として期待され、プロ1年目の1991年から一軍出場を果たすが、打撃が非力で代打・守備要員止まりだった。それでも一軍出場時の守備が解説者から絶賛されたり、テレビ番組の珍プレー好プレーの好プレーで取り上げられたこともあった。

1996年9月8日、対ヤクルト23回戦において、同点で迎えた9回裏に、一死から谷繁元信が三塁打を放ち代走に高橋眞裕が送られ、さらに四球で一・三塁となり、続くこの日タイムリーを放っている宮川が、フラフラとレフト前にポテンヒットを放った。しかし三塁走者高橋は完全に三塁に着塁しており、ボールが落ちて安打になるのを見て慌てて走り始めたため本塁でアウトとなり、幻のサヨナラヒットとなった。

1997年以降は一軍出場が激減し、1998年のリーグ優勝及び日本一の際には出場メンバーとして登録されていたが、日本シリーズでの出場はなかった。

一軍出場のなかった1999年オフに戦力外通告を受け退団。翌2000年アメリカ合衆国独立リーグに参加し、当時トーマス・オマリーが監督を務めるニューアーク・ベアーズに所属した。同年秋には千葉ロッテマリーンズの入団テストを受験したが不合格となり、日本プロ野球界への復帰はならなかった。

特定非営利活動法人ベイスターズ・ベースボールアカデミーのコーチを務める。

ユニフォームの背中のアルファベット表記が、MIYAGAWA(みやがわ)だった年とMIYAKAWA(みやかわ)だった年とがある。

2024年から女子硬式野球チーム・ZENKO BEAMSにてヘッドコーチを務めている (背番号は36)[1][2]

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
















































O
P
S
1991 大洋
横浜
2220190200020020010080.105.150.105.255
1992 2124232620080000010040.261.292.348.639
1994 4660000000000000040.000.000.000.000
1996 39968510214023190042401180.247.283.365.647
1997 5770110021000000050.143.143.286.429
1998 814122310041000110050.250.286.333.619
通算:6年 99167152143380247110243701440.217.252.309.561
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  • 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更

記録

背番号

  • 25 (1991年 - 1992年)
  • 36 (1993年 - 1999年)

脚注

関連項目

外部リンク

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