宮沢今朝太郎
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| 宮沢今朝太郎 | |
|---|---|
![]() 騎手時代 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 出身地 |
東京府東京市 (または長野県東筑摩郡坂北村 (現・筑北村)[1]) |
| 生年月日 | 1916年8月26日 |
| 死没 | 1991年7月7日(74歳没) |
| 騎手情報 | |
| 所属団体 |
中山競馬倶楽部 日本競馬会 国営競馬 日本中央競馬会 |
| 所属厩舎 |
秋山辰治・中山(1932年-1943年) 野平省三・中山(1943年-1944年) 秋山辰治・中山(1944年) 野平省三・東京-中山(1947年-1950年) 柴田恒治郎・中山(1950年-1952年) 松永光雄・中山(1952年-1955年) 田中朋次郎・中山(1955年-1961年) |
| 初免許年 | 1936年 |
| 騎手引退日 | 1961年 |
| 重賞勝利 | 1勝 |
| G1級勝利 | 1勝(八大競走) |
| 調教師情報 | |
| 初免許年 | 1962年 |
| 調教師引退日 | 1991年(死亡) |
| 重賞勝利 | 5勝 |
| 通算勝利 | 3536戦242勝 |
| 経歴 | |
| 所属 |
中山競馬場(1962年-1978年) 美浦T.C.(1978年 - 1991年) |
1916年、東京府東京市小石川区に生まれる[2]。小石川高等小学校卒業後の1932年、中山競馬倶楽部(中山競馬場)の秋山辰治厩舎に騎手見習いとして入門[2]。1936年に騎手免許を取得した[3]。1942年、バンナーゴールに騎乗して中山四歳牝馬特別を制し、クラシック競走の優勝を果たす[3]。1945年、太平洋戦争の激化による競馬開催休止にともない、日本競馬会が全国に支所を設置し、宮沢は栃木県宇都宮市の関東支所に派遣された[3]。関東支所では年長だったこともあり騎手たちの指導者的な存在であり[4]、戦後競馬の復活に際しては宮沢宅で騎手会の創立が行われた[5]。以後は騎手として秋山一門の厩舎を転々としながら1961年まで活動した[6]。
翌1962年3月、調教師免許を取得し中山競馬場で厩舎を開業(1978年より美浦トレーニングセンター)[7]。当初の9年間は一桁勝利が続くなど目立たない成績だったが、10年目の1971年に自己最高の18勝を挙げた[7]。また、1973年にはサンヨウコウが七夕賞を制し、調教師として重賞初勝利を果たす。以後もプラトーフォンテンでふたつの障害重賞を制するなどした。
1991年、福島開催への出張中に体調を崩し、美浦トレーニングセンターへの帰還後に入院[8]。7月7日に肝不全で死去した[8]。76歳没。
