宮田仁
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神奈川県横浜市出身。横浜市立桜丘高等学校でアンダースロー投手に転向、その後は高校時代の監督が出身であった東都大学野球の國學院大學に進学。1年春は1部リーグも登板なし、秋からは2部リーグで4年生エースの酒井弘樹と同じく7試合に登板すると大学通算26勝21敗の成績を残し、1997年に日産自動車に入社した。
同年スペインのバルセロナで行なわれた第13回インターコンチネンタルカップ野球大会では日本代表に選出され、当時絶頂期にあったオマール・リナレスやオレステス・キンデラン、アントニオ・パチェコらを擁するキューバ代表を抑えて同大会を制覇する活躍をみせた。
1998年の都市対抗野球では抑えとして優勝に貢献。その後も長く日産自動車のエースとしてチームを引っ張ってきたが、持病の腰痛の悪化のため2005年限りで自ら申し出て引退、9年間の現役生活に終止符を打った。
引退後は日産自動車で社業に就いていたが、2025年にそれまで活動休止していた硬式野球部の活動再開に伴い投手コーチに就任した[1]。