宮田修

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宮田 修(みやた おさむ、1947年10月4日 - )は、NHKの元エグゼクティブアナウンサー。現在は神職で、セレモアつくば業務執行役員圭三プロダクションに「客員」として所属。

生年月日 (1947-10-04) 1947年10月4日(78歳)
最終学歴 埼玉大学教育学部卒業
職歴 NHKアナウンサー
旭川(1970.6 - 1974.7)
神戸(1974.8 - 1977.7)
福島(1977.8 - 1980.7)
岡山(1980.8 - 1984.7)
広島(1984.8 - 1988.6)
東京アナウンス室
(1988.6 - 1992.3)
大阪(1992.4 - 1995.4)
→東京アナウンス室
(1995.4 - 1999.6)
→大阪(1999.6 - 2003.3)
→東京アナウンス室
(2003.3 - 2008.10))
セレモアつくば
概要 みやた おさむ宮田 修, プロフィール ...
みやた おさむ
宮田 修
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 千葉県印旛郡富里村
(現:富里市
生年月日 (1947-10-04) 1947年10月4日(78歳)
最終学歴 埼玉大学教育学部卒業
職歴 NHKアナウンサー
旭川(1970.6 - 1974.7)
神戸(1974.8 - 1977.7)
福島(1977.8 - 1980.7)
岡山(1980.8 - 1984.7)
広島(1984.8 - 1988.6)
東京アナウンス室
(1988.6 - 1992.3)
大阪(1992.4 - 1995.4)
→東京アナウンス室
(1995.4 - 1999.6)
→大阪(1999.6 - 2003.3)
→東京アナウンス室
(2003.3 - 2008.10))
セレモアつくば
活動期間 1970年2008年
出演番組・活動
出演経歴 本文参照
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人物・来歴

千葉県立船橋高等学校を経て埼玉大学卒業後、1970年NHK入局。

旭川から神戸局時代はスポーツを担当した[1]

最初の大阪勤務時阪神・淡路大震災に遭い、その初動対応にあたる[2][3][4][5][6]。震災から3か月後に東京アナウンス室へ異動し、『NHKニュース7』の土日祝のキャスターに就任。1996年1998年には平日キャスターの森田美由紀が2週間の夏休みを取り、キャスター代理として担当した。2004年役職定年後、嘱託職扱いの「エクゼクティブアナウンサー」として勤務。2008年、60歳を機にNHKを定年退職した。

NHKに在職中、千葉県長生郡長南町にある熊野神社に宮司の成り手がいないことを知り[7]、2002年4月に通信教育で神職の資格を取得[8]。翌2003年6月、同神社の宮司となった[8]。現在は地元・千葉県で多くの中小神社の宮司を務める[9]。なおアナウンサー時代、神主の活動はNHKの許可を得て行っていた[10]

現在はセレモアつくばの業務執行役員を務めており、同社のイメージキャラクターとして広告やテレビCMにも登場している。

アナウンサー時代の主な出演番組

NHK

旭川放送局時代(1970年度 - 1974年7月)
  • 各種スポーツ中継
神戸放送局時代(1974年8月 - 1977年7月)
  • 各種スポーツ中継
福島放送局時代(1977年8月 - 1980年7月)
岡山放送局時代(1980年8月 - 1984年7月)
広島放送局時代(1984年8月 - 1988年6月)
東京アナウンス室時代(1度目、1988年6月 - 1991年度)
大阪放送局時代(1度目、1992年度 - 1994年度)
東京アナウンス室時代(2度目、1995年度 - 1999年6月)
  • NHKニュース7 土曜日・日曜日・祝日(1995年4月 - 1999年3月)
  • NHKニュース〔18:00、20:45〕土曜・日曜・祝日(1995年4月 - 1999年3月)
大阪放送局時代(2度目、1999年6月 - 2002年度)
  • ネットワークにっぽん(1999年6月 - 2003年3月)
東京アナウンス室時代(3度目、2003年度 - 2008年10月)

他局

  • どきどきわくわくお金の話(2005年12月)[注釈 3] - 「私のセカンドライフ」のコーナー出演

著書

  • 『危機報道―その時、わたしは……』 関西書院 1995年(「おはようきんき」担当中に阪神・淡路大震災に遭遇した際のルポ)

同期

脚注

外部リンク

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