富士航空
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1952年9月13日に小宮三郎らによって、日本航空宣伝協会(日本宣伝航空)として設立。設立時の資本金は1,000万円(1952年当時)で、本社は東京都に置かれていた。当初は小宮が社長を務めていたものの、その後経営陣の交代が相次ぎその度に富士航空、三富航空、富士産業航空と社名を改称、最終的には富士航空へと戻された。
設立当初の社名から明らかな様に、最初は遊覧飛行・広告宣伝飛行を中心とした不定期航空運送事業に着手。1954年に不定期航空運送事業の免許を取得し、鹿児島〜種子島、新潟〜佐渡の路線を運航した。
1956年に既に東亜航空が開設していた鹿児島~種子島路線にビーチクラフトC-18Sツイン・ビーチで就航し、定期航空に参入した。
1961年3月には、経営参加要請を受けた東急が18万4000株(持株比率51.1%)を取得。東急グループ入りした[1]。
1961年8月、資本金を3倍に増額して5億4000万円とし、40人乗りの双発旅客機(コンベアCV-240)3機などを購入して輸送力を増強。また、1963年7月からは東京〜高松〜大分〜鹿児島を結ぶ定期航空路線を1日1往復で就航を開始した[1]。
1964年に資本金を10億8,000万円に増資するものの、同年4月15日に、ほかの弱小航空会社であった日東航空・北日本航空(同じく東急が出資)と合併し、日本国内航空(後の東亜国内航空 → 日本エアシステム(JAS) → 現在の日本航空)となり[1]、最終的には企業として消滅した。
使用機材(回転翼機除く)
- ビーチクラフトC-18Sツイン・ビーチ
- ビーチクラフトC-50ツインボナンザ
- ビーチクラフトD-50ツインボナンザ
- パイパーPA-23アパッチ
- コンベアCV-240
- デハビランドDH114-1Bヘロン
- デハビランドDH114タウロン
- セスナ172
