富樫満成
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応永8年 (1401年) ごろから足利義持の近習として史料上に見え始め、その後も近臣として重用された[2]。
富樫氏は南北朝の動乱期に足利尊氏に付き従い活躍した富樫高家が加賀国の守護に任じられて以降、代々守護職を世襲していた。しかし、元中4年/嘉慶元年(1387年)に守護・富樫昌家が没してから、守護職は斯波氏の手に奪われていた[3]。
満成は義持を後ろ盾として加賀守護への復権を狙っていたとされ、応永21年(1414年)に加賀守護・斯波満種が義持の忌避に触れて守護職を更迭された事件にも何らかの形で関わったと考えられる。満種の失脚後、満成が加賀南半国の守護に任じられた。一方、加賀北半国の守護には富樫満春[4]が任じられている[5]。