小倉惣次郎

日本の彫刻家 From Wikipedia, the free encyclopedia

小倉 惣次郎(おぐら そうじろう、1845年4月16日弘化2年3月10日[注釈 1] - 1913年大正2年)5月24日)は、日本彫刻家である[1][2]

経歴・人物

弘化2年(1845年) 3月10日、上総国君津郡富岡村下郡の農家に生まれる。幼くして久留里町大和田の宮大工興三郎の従弟となる[1][2]明治維新後に工部美術学校に入学し[1][2]、当時同学校に勤務しお雇い外国人として来日していたイタリア人のヴィンチェンツォ・ラグーザから西洋彫刻を学んだ[1][2]

卒業後はその西洋彫刻により[1][2]、日本で初の大理石を用いた人物像を制作した事により名を馳せた[1][2]。また当時の内閣総理大臣明治天皇の像等歴史上の人物を数多く制作した事としても知られ[1]、後に後進の指導にも携わり門下からは新海竹太郎北村四海らを輩出した[2]。墓所は東京都港区泉岳寺

水戸照武に目をかけられ、明治15年(1882年)、仲介によりドイツ人のため大理石像を作製、モデルはのちに門弟となった女性彫塑家の月谷初子である[3]。最後の作品である川上音二郎銅像の作製中倒れ、月谷の介抱を受けたが[4]、大正2年(1913年)5月24日病没した[5]

墓所は東京都港区泉岳寺

主な作品

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI