小倉桂子

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生誕 (1937-08-04) 1937年8月4日(88歳)
日本の旗 日本広島県広島市
国籍 日本の旗 日本
出身校 広島女学院大学英文学部
職業 通訳
小倉 桂子
Keiko Ogura
生誕 (1937-08-04) 1937年8月4日(88歳)
日本の旗 日本広島県広島市
国籍 日本の旗 日本
出身校 広島女学院大学英文学部
職業 通訳
配偶者 小倉馨(1962年 - 1979年)
公式サイト 平和のためのヒロシマ通訳者グループ
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小倉 桂子(おぐら けいこ、1937年8月4日 - )は、日本被爆体験証言者通訳。平和のためのヒロシマ通訳者グループ代表。

被爆体験を英語で証言できる数少ない被爆者として年間およそ2,000人に自らの体験を伝え続けている[1]。夫は小倉馨広島平和記念資料館第3代館長)。

広島市生まれ。 1945年8月6日、8才の時に爆心地より2.4キロの広島市牛田町で被爆[2]1959年広島女学院大学英文学部卒業。

1962年広島市役所勤務の小倉馨(米国生まれで17歳年上)と結婚[3]

1979年8月、夫の小倉馨が平和宣言を書いている途中で、くも膜下出血で亡くなる(妻・桂子が42歳、長男が12歳、長女が15歳の時)。

1980年から海外から広島を訪れる平和運動家、作家、学者、メディアなどの通訳・コーディネートを始める。

1981年、ニューヨークで行われた第一回核被害者世界大会にて、アメリカで自身初の被爆証言を行う。あるアメリカ人から「原爆を落としたから、日本人は自決しなくてよかった。私たちは日本人を助けたんだ。私たちが爆弾を落として。」と言われる。一方、カリフォルニアで第二次世界大戦を知る70代から90代の人達に証言をした際は、「広島・長崎で、原爆によってそんな酷いことがあったことを初めて知った。知らないことや無関心が戦争を引き起こす。ごめんなさい。」と泣きながら抱きしめられた[4]

1984年、「平和のためのヒロシマ通訳者グループ、Hiroshima Interpreters for Peace(HIP)」設立[5]。1985年、和英対訳「ヒロシマ事典」を刊行[6]

1990年、株式会社アテンションを設立(通訳・翻訳・出版)。1991年、和英ガイドブック「ヒロシマ アテンション プリーズ(Hiroshima Attention Please)」刊行。アジア大会の手引書として、広島県民に広く利用される。

2005年、広島市民賞受賞。同年に英和対訳HIPの「平和公園ガイド」を刊行。2009年、広島ユネスコ活動奨励賞受賞。

2011年広島平和文化センターより英語による被爆体験証言者を委嘱され登録。英語による被爆証言を開始。

2013年、第25回谷本清平和賞受賞。

2016年2月、和英対訳「英会話しながら広島ガイド(HIP’s Hiroshima Guide)」を発行(A5判76ページ。左右ページに日本語、英語を対応、発音練習用CD付き)[7]

2016年、カリフォルニア州クレアモント、ポモナ大学で広島講座。合衆国議会とクレアモント市から表彰。

2017年春、ニューヨーク大学でロバート・リフトン教授とトークセッション。同年秋、ニューヨーク州シラキュース大学オハイオ州ボーリンググリーン州立大学で1週間の広島講座。

2017年11月27日、核保有・非保有国双方の有識者が核軍縮の方策について議論する「賢人会議」の第1回会合(広島市で開催)で委員に英語で自身の被爆体験を伝える[8]

2018年5月、ボストン地区のハーバード大学ケネディ行政大学院、マサチューセッツ工科大学タフツ大学フレッチャー法律外交大学院の3校で広島講座[9]

2018年7月10日、若尾祐司共編「戦後ヒロシマの記録と記憶 小倉馨のR・ユンク宛書簡」上下巻(名古屋大学出版会)刊行[10][11][12][13][14][15]

2023年5月19日、G7広島サミットで、原爆資料館を訪れた各国の首脳たちに自らの被爆体験を証言[16][17][18]。5月21日、ウクライナゼレンスキー大統領が原爆資料館を視察した際にも証言・対話を行った[19][20][21][22][23]

受賞

主な出演

  • 2022年10月28日、NHK「いま 伝えたい 小倉桂子さん核大国アメリカでの対話」[24]
  • 2023年8月、報道特別番組『アイ アム アトミックボム サバイバー~小倉桂子が伝え続ける理由~』(テレビ新広島制作、放送:8月6日14時~テレビ新広島/8月11日27時55分~フジテレビ[25]

関連項目

出典

外部リンク

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