小尾権三郎
From Wikipedia, the free encyclopedia
執念の父、独自の修行
権三郎は12歳で諏訪藩の家老千野貞亮(兵庫)[2]宅に仕えた。
権三郎の父、今右衛門はかつて天明の大飢饉の頃、窮状した村を法力で救うべく、講を開くため、甲斐駒ヶ岳開山をめざし12年の長きに渡り登頂を試みたが願いかなわず断念していた。幼い我が子に非凡な才を見いだし、(千野氏の若殿に、庭前の梅の木にさえずっている鶯を、枝を折りながら取り来たりて、御覧に入れたと云う伝説有り。)開山の願いを託す[3]。 幼少期から、父今右ヱ門の考案した修行を課せられたれていた。父による独自の訓練(修行)は苛酷を極めた。走る、岩を攀じ登る、断食をする、水を断つ、眠らせない、その他、権三郎はその都度泣き叫んで嫌がったが、今右衛門は呵責なく鍛えた。つまり、権三郎の幼年は、甲斐駒ケ岳開山の悲願だけに、常住坐臥一切がしばられていたわけである[4]。
修験者への道
庇護者山田一族
甲斐駒ヶ岳登頂
延命行者、そして威力不動尊
文化14年(1817年)権三郎は8人の弟子達と共に甲斐駒の登山道の整備を始める。
文政元年(1818年)京都神道神祇官白川伯王家長官雅寿王を尋ね、開山の旨を申し伝え、駒ヶ岳開山延命行者五行菩薩(菩薩の修すべき5種の行法。)の尊号を賜り、駒ヶ岳講を結成する事を許可された。 それからたった1年後の文政2年(1819年)6月15日没する。享年24歳の若さだった。遺体は上古田の墓地へ埋葬される。(入定塚との説あり[6])死因は不明とされている。病死、土中入定(即身成仏)[7]、法難死[8]など諸説あり。自分の亡くなる日を予言し、「百年後に我が墓を掘ってみよ」と遺言したと伝えられる。
また、権三郎が没する時に、山田孫四郎へ太刀、袈裟、理趣経、独鈷杵、三鈷杵、五鈷杵、巻物、御山掟書、病難除御札などを形見の品として贈るようにという遺言があったとも伝えられている。駒ヶ嶽開山時の援助への感謝のためと考えられている[9]。
権三郎の死後
権三郎は「威力不動明王」として祀られ、生家所有の道端に不動堂が建立された。権三郎の業績を讃え、世に知らそうと、上古田村民全員信徒となって駒ヶ岳講「駒ヶ岳開山威力不動尊総元講」を結成し、村中で毎月15日の縁日に威力大聖不動明王の祭事の護摩供修法を行った[注釈 1]。 (明治20年(1887年)現在の場所に威力不動堂を移し茅葺きの草屋を建てたが、昭和3年(1928年)1月11日に全焼した。再建は甲州、筑摩郡、諏訪の信徒の寄進で昭和4年(1929年)10月現在の威力不動堂が建立された。)
文化後期、甲州で駒ヶ岳講を組織化したのが、権三郎に協力した山田家の嘉三郎、孫四郎兄弟。山田家は甲斐駒ケ岳の麓にあり名主という信頼もあって、布教は順調に進み、講員は武州、相州などにも広がっていた。今日、北杜市の横手と竹宇に権三郎の教えを引き継ぐ駒ヶ嶽神社がある [10][11]。
そこから山頂にいたる黒戸尾根6合目の不動岩には現在も権三郎が「大開山威力大聖不動明王」として祀られている[12]。
同時期、乙事村[注釈 2]でも行者修行をした人々によって駒嶽講が結成された[8]。
権三郎の開山から200年の平成28年(2016年)に北杜市郷土資料館にて権三郎の遺品10点を展示する企画展が開催された[13]。
没後200年の平成30年(2018年)、生家から近い八ヶ岳総合博物館にて『開山小尾権三郎 : 上古田を中心とする信仰と甲斐駒ヶ岳 : 茅野市政60年八ヶ岳総合博物館開館30周年甲斐駒ヶ岳開山小尾権三郎没後200年 : 企画展』が開催された[1]。
参考文献
- 小林千代丸『駒ヶ嶽開山威力不動尊御由来記』1931年。 - 上古田区所蔵
- 藤森栄一『藤森栄一全集 第4巻』学生社、1982年。ISBN 978-4311500046。 - 蓼科の土笛の章123頁『剱岳の錫杖』
- 藤森栄一『歴史読本14』Kadokawa、1969年8月。 - 1969年8月号 60頁 特集 ふるさとの山河 - 甲斐駒ヶ岳の2人
- 藤森栄一『遥かなる信濃』学生社、1970年。 NCID BN12890024。 - 202頁にも甲斐駒ヶ岳の2人 収録 (権三郎と、同じ頃登攀を目指していたと伝わる善行坊の人生について研究しレポートした。)
- 新田次郎 小説『からかご大名』駒ケ岳開山 新潮文庫 1985 ISBN 978-4101122267 - 権三郎と善行坊、千野兵庫の登場する小説。同時代の諏訪二の丸騒動も収録。
- 佐久吉文『山岳信仰 : 乙事の信心』2003年。
- 宮崎吉宏『甲斐駒開山』山梨日日新聞。ISBN 978-4897106106。 - 12頁に駒ヶ嶽開山威力不動尊御由来記 小林千代丸著が引用されている。また、他の研究者の文献をもとに、実際歩いて史跡を回ったり、研究者や小尾権三郎の関係者の子孫に会ったり、取材を行って書かれた著書。
- 守矢昌文(茅野市尖石縄文考古館館長『久保御堂遺跡 平成7年度県営圃場整備事業古田地区に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書、茅野市教育委員会』1995年。 NCID BA54663526。
- 諏訪史談会編『諏訪史蹟要項21 茅野市豊平篇』郷土出版社、1996年。 NCID BN09212499。
- 八ヶ岳総合博物館『開山小尾権三郎 : 上古田を中心とする信仰と甲斐駒ヶ岳 : 茅野市政60年八ヶ岳総合博物館開館30周年甲斐駒ヶ岳開山小尾権三郎没後200年 : 企画展』2018年4月。 NCID BB2620454X。

