小山ゴルフクラブ
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 小山ゴルフクラブ Oyama Golf Club | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 所在地 |
栃木県小山市大字喜沢1140番地 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 開業 | 1960年(昭和35年)11月3日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 運営 | メンバーシップコース | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 設計 | 間野 貞吉 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 運営者 | 株式会社 小山カントリー倶楽部 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 公式サイト | 小山ゴルフクラブ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1958年(昭和33年)、久保田鉄工株式会社の創業者・久保田権四郎の養子である久保田篤次郎が、栃木県小山市内の所有の農場33平方メートルと隣接の山林33万平方メートルを併せて、18ホールのゴルフ場を計画したことに始まる[1]。久保田所有の農地は、思い川河畔の台地一帯は、明治時代は官林の一部で、明治後期に官林は須永元が入手し須永農場となった[1]。1944年(昭和19年)、須永農場は久保田農場となった[1]。
コース設計を株式会社大林組の間野貞吉に依頼したが、プロゴルファーの安田幸吉と久保田篤次郎の意見も盛り込まれた[1]。保田幸吉は、中国から引き揚げ後、久保田農場で体を癒し、再起に備えたという[1]。浅見緑蔵も、復員直後久保田農場にいたという[1]。1960年(昭和35年)11月3日、コース造成工事が完成し、18ホール、パー72のゴルフ場が開場された[1]。
コースの造成工事は、久保田鉄工の耕作機と地元農民の人海戦術によって行われた[1]。芝張は横一列に並ぶ田植方式で進められた[1]。アウトコースは、旧久保田庭園を保存したままレイアウトされ、特に7番ホールは35本の桜並木は見事で「その桜吹雪の下でプレーしたい」と願ってプロになった金子良平は、人生の殆どを小山ゴルフクラブで過ごした[1]。
所在地
〒323-0014 栃木県小山市大字喜沢1140番地
