小山政種
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小山秀綱の子として生まれる。幼名は伊勢千代丸[1]。母は成田氏長の娘。兄(異母兄か?)に高綱と秀広[2][3]、姉妹に岡本禅哲(佐竹氏家臣)室がいる[4]。
天正3年(1575年)2月半ば、小山氏は、北条氏によって祇園城を攻略された[5](別説あり。後述)。秀綱・政種父子は、佐竹義重を頼って常陸国に落ちのび、同国那珂郡古内宿(現在の茨城県城里町)に身を置いた[5][4]。佐竹氏を頼ったのは、同氏の重臣・岡本禅哲に秀綱の娘が嫁いでいたことも理由に挙げられる[4]。岡本氏は、小山氏の一族だったとされている[4]。
天正5年(1577年)8月、伊勢神宮に祇園帰城の願をかけている[6][7]。天正8年(1580年)頃、元服し、政種と名乗った[8]。この時期に小山家当主を継いだと推測される[8]。
同年末から天正9年(1581年)1月か2月頃、常陸国で没した(「常陸日月牌過去帳」)[6]。享年14(「小山系図」)[6]。このため、父・秀綱が小山氏当主に復帰したと推測される[6]。