天理高では、2年夏に県大会決勝で完封勝利し、第62回高校野球選手権に左のエースとして出場。同じ2年生で右ピッチャーの小山昌男、4番・三塁手の藤本博史と共にチームを選手権ベスト4へと導いた。秋は県大会決勝で智弁学園を完封して優勝するもチーム内の不祥事のため近畿大会を含めて、丸1年の対外公式試合禁止の処分により、3年時の甲子園出場のチャンスを棒に振るが、甲子園での実績と素質を見込まれ1981年のプロ野球ドラフト会議で南海ホークスから6位指名され入団[1]。同級生の藤本は川本と同じく南海へ4位で、小山は近鉄バファローズへ2位でそれぞれ入団した。
藤本と小山が一軍で活躍する中で、川本は1983年に1試合一軍登板したのみに終わり、翌1984年限りで現役を引退した。