小山正孝
From Wikipedia, the free encyclopedia
盆景家小山潭水の次男として、東京青山に生まれる。府立四中を経て、旧制弘前高等学校に進み、本格的に文学を志す。
高等学校時代に、杉浦明平の紹介で立原道造と知り合い、強い影響を受け、詩作を始める。したがって、初期には岩野泡鳴から立原へと発展したソネット形式を多用した、独自の世界を描いた抒情詩を多く作った。が、後には、散文的要素が強い哲学的、幻想的な世界を構築したり、日常に潜む危機を描いていった。また、初期から晩年まで、その詩の中心的課題は、「愛」であった。
作風が現代詩壇から孤立し、他に類を見ないものであったために、現代詩の傍流と見られることも多かったが、実は、日本の抒情詩の本流である詩人ではなかったかとの、再評価の機運が高まっている。
また、幾篇かの佳品を残すにとどまったが、小説についても、強い関心と興味を持っていたことが、死後纏められた作品集によって判明した。