小川元政 From Wikipedia, the free encyclopedia 小川 元政(おがわ もとまさ、永禄6年(1564年) ‐ 慶安4年(1651年)1月26日)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将。通称は五郎兵衛。 近江の豪族・小川氏出身、弟に小川次郎兵衛がいる。 始め増田長盛に仕えるが、関ヶ原の戦いで増田家が改易されると浪人となった。 その直後の慶長6年(1601年)に藤堂高虎に召し出され300石を与えられた。 大坂の陣に従軍し武功を挙げ、加増され900石となった。この際弟・次郎兵衛は豊臣方として参戦し、敵対していた。また旧主・長盛は豊臣家内通の疑い[1]で切腹を命じられた。 戦後、弟・次郎兵衛が主君・高虎によって200石で召し出されている。 その後、更に100石を加増され1千石となる。 慶安4年(1651年)1月26日死去。なお同年2月17日に弟・次郎兵衛も死去している。 脚注 ↑ 息子の増田盛次は冬の陣では徳川方だったが、夏の陣で豊臣方に参戦し、討ち死。 参考資料 「藤堂高虎家臣辞典」 Related Articles