小川賢太郎
From Wikipedia, the free encyclopedia
石川県出身。東京都立新宿高等学校を経て、東京大学に進学するが、全共闘運動に関わり中退[1]。
港湾労働を経て、ベトナム戦争から「資本主義のもとで貧困をなくす」ことに目覚め、通信教育で中小企業診断士の資格を取得[2]。
1978年、吉野家に入社。同社の倒産などをきっかけに独立し、1982年にゼンショーを創業。社名は創業時に「全勝」「善意の商売」「禅の心で商売を行う」の3つの意味を込めて命名した[1][3]。横浜市鶴見区の京急本線生麦駅前で、持ち帰り弁当店「ランチボックス」、すき家1号店を開店した[4][5]。その後、M&Aで外食チェーンを次々と傘下に収め、強力なリーダーシップを発揮した。
→詳細は「ゼンショー § 沿革」を参照
2011年3月期連結決算では、連結売上高が日本マクドナルドホールディングスを上回り、外食チェーン国内最大手に成長した[6]。
2014年春には、インターネットなどで『すき家』の過酷な労働実態が話題となり[7][8]、社内に労働環境改善策を提言する第三者委員会が設置され、トップとして意識改革を求められることとなった[9][10]。
2017年1月、ライフコーポレーション創業者の清水信次の後任として、国民生活産業・消費者団体連合会(生団連)第2代会長に就任[11]。
2025年、ゼンショーホールディングスの社長職を次男の小川洋平に継承し、同社会長に就任すると共に[12]、国民生活産業・消費者団体連合会でも名誉会長に就いた[13]。
2026年4月6日、心筋梗塞[14]のため死去したことがゼンショーホールディングスより発表された[13][12]。77歳没。