小杉一笑
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一笑については、従来、現在の金沢市片町で葉茶屋を経営しており[3]、通称を茶屋新七、俳号を一笑としたとされて来た[1]。しかし、一笑の俗名を茶屋新七とするのは、文政(1818~1831)中期ころの成立と見られる『蕉門諸生全伝』が最も早く、それ以前には見られないとされる[4]。そして、片町に住んだ茶屋新七というのは、一笑の死から100年ばかり後に一笑の末葉・二世であると称した二笑なる俳人の俗名等であり、従来言われて来た属性は、一笑の属性としては疑わしいという[5]。
初め松永貞徳門の高瀬梅盛に学び、後に蕉風の句も詠んだ[6]。加賀俳壇を担う逸材として頭角を現し、芭蕉の来訪を心待ちにしていたが[6]、芭蕉が奥の細道紀行で金沢を訪れたのは一笑の没した翌年であり[1]、芭蕉は一笑の追悼会でその死を悼み「つかも上付き文字うごけ我泣く声は秋の風」の句を詠んだ[7]。