文献学的アプローチによる表現解析により、日本語古典文学における定説を覆すような新しい仮説の提案を数多く行なってきた。
平安前期の仮名文に独特の構文を「連接構文」と名づけた[3]。
とりわけ『古今和歌集』や『土佐日記』(土左日記)の研究で、画期的な進歩をもたらした。
従来の古典文法に呪縛された解釈を全面否定し、新たな解釈を提示した[4]。
『万葉集』を素朴、『古今和歌集』を観念的、『新古今和歌集』を幽玄とする従来の認識について、「借字(※これは小松英雄の考案した用語)による表記から仮名だけの表記へ、そして、漢字と仮名との交用による表記へという、和歌の書記様式の転換と密接に連動して生じた、抒情表現の深化と捉えるべき」だとした。
また、古来、謎とされてきた、巻十九冒頭に「短歌」という標目で長歌が収録されていることについても新しい解釈を提示した[5]。
長年にわたって強固な定説として認知されてきた「紀貫之は、女性に仮託して書いた」という解釈について完全否定した。小松は論拠を示した上で、「冒頭の一節は「漢字ではなく、仮名文字で書いてみよう」という意思表示を平安前期の仮名文の特性である複線構造を活かして巧みに表現したものだ」とする新しい説を提示したのである。また「それのとしの」以下の従来の解釈についても、「徹頭徹尾間違っていた」として、丹念な検証の上で新たな解釈を提示した[6]。
こうした小松説に対しては、冒頭部の理解を中心に、東原伸明、熊谷直春、徳原茂実が批判を加えている[7][8][9]。また小松の発見については、2007年3月2日付の『読売新聞』に「「土佐日記」冒頭に新説」という記事が掲載されたが、当該新聞記事は「仮名」を「ひらがな」とするなど、小松の考え方について正確に報道していない。
「いわゆる係り結びの「ぞ」「なむ」「こそ」の意味は強調ではない」とし、センテンスやディスコースの区切る機能を持つという解釈を提示した[10]。
- 連接構文
- 初読(ラテン語のrectoをもとに考案)[11]
- 次読(ラテン語のversoをもとに考案)[11]
- 借字(従来はすべて万葉仮名とされていたが、借字と万葉仮名を区別した。)
- 仮名文
- 仮名
- 平仮名
- 漢字文(従来はすべて漢文と言われていたが、日本語の書記様式としての漢字文と、中国語古典文を区別した。)
- 活写語(通常は、擬態語・擬音語などと言われた。オノマトペは「日本語に相応しくない」とした。)[12]
- 書記(writingの訳語)