1953年、埼玉県熊谷市に引き揚げる。埼玉県立熊谷高等学校をへて京都大学工学部原子核工学科卒業。京都大学原子炉実験所(現:京都大学複合原子力科学研究所)助手を経て、2002年に同講師。2003年、定年退職。
当初は原子力発電の実用化を推進する立場で研究していたが、やがて批判に転じる。
1973年、四国電力の伊方原子力発電所1号建設に反対する住民訴訟を支援。高速増殖原型炉もんじゅの設置許可の無効確認を求めた行政訴訟(もんじゅ訴訟)では、原告特別補佐人、証人を務めている。
2019年5月27日、膵臓癌などのため死去[2]。