小林宗作
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1893年、群馬県岩島村の農家の三男(末子)として誕生[2][3]。長姉の養子となり、金子姓となるが、基本的に小林宗作の名を用いた[2][3]。
1899年、吾妻郡三島小学校入学[5]。1907年、三島小学校高等科卒業後、代用教員として勤める[5][3]。1911年、音楽教師を志して上京し[3]、東京都新宿牛込小学校に勤務する[5][3]。1916年、東京音楽学校乙種師範科(高等小学校卒業者対象の1年制課程)入学[6][3]。1917年、東京音楽学校を卒業[1][6][3]、同大学選科に進学する[3]。この頃、公立小学校や成蹊小学校に勤務しており、学業と仕事の両立が難しかったからか、選科に5年間在籍した後に中退している[3]。次兄も群馬師範学校を卒業し、群馬や東京の小学校教員・校長を歴任するなど宗作と同じ道を歩んだ[2][3]。しかし、教育観の相違からか、二人は頻繁な交流にもかかわらず、しばしば対立することがあったという[2]。
1923年、スイス・フランス・ドイツ・イタリア・イギリスに留学。ダルクローズ音楽学院ではリトミックをエミール・ジャック=ダルクローズに学ぶ。帰国後、石井漠舞踊研究所・東洋英和女学院などで教鞭をとる[5]。また、小原国芳とともに成城幼稚園設立に参画する[3]。1930年、再び渡欧し、パリ・ミラノ・ベルリンに留学する[1][7]。大正自由教育運動の中で、就学前・初等教育の段階にある子供たちに、より自由で芸術的な音楽教育を志向し、幼児教育・音楽リズムと造形リズムの関係・音楽と体操の結合について研究し、その成果を日本の教育界に紹介した。
1937年、成城幼稚園を退職し[8][3]、手塚岸衛が創立した自由ヶ丘小学校を石井漠の勧めで引き取り、トモエ学園に改める[9][3]。なお、宗作は長男の名前にも、学校と同じ「巴」を付けている[10]。太平洋戦争中には児童たちを故郷・吾妻郡岩下村に疎開させた[11]。1945年、空襲で学園を焼失する[12]。燃えている学園を見ながら長男の巴に「今度はどんな学校を作ろうか」とつぶやいたという[12]。1948年、さくら幼稚園を設立し、初代園長に就任する。1949年、国立中学校・国立音楽高校のリトミック指導者に就き、翌年には国立音楽大学講師に就く[5][3]。
演じた人物
- 竹中直人 - トットちゃん!
- 役所広司 - 窓ぎわのトットちゃん(声の出演)