小槻千宣
From Wikipedia, the free encyclopedia
正安2年(1300年)父の小槻統良が出家しまもなく没するが、千宣は若年であったためか大夫史を継ぐことはできず、大宮流の小槻伊綱が単独で大夫史の地位を占めた。
千宣は主殿頭などを経て、延慶4年(1311年)ごろ左大史に任ぜられて、大夫史は壬生(千宣)・大宮(伊綱)両流による2人体制となる。正和5年(1316年)伊綱が没したため、千宣が官務(左大史上首)となり単独の大夫史となった。文保元年(1317年)正五位上に叙せられ、能登介を兼ねたほか、修理東大寺大仏長官・記録所奉行も務めている。
元応元年(1319年)大宮流の小槻冬直が左大史に任ぜられ、再び大夫史は2人体制となる。元亨2年(1322年)冬直に官務・氏長者の地位を譲り、翌元亨3年(1323年)卒去した。なお、この年に子息の匡遠が大夫史に任ぜられている。