小玉貞良
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落款に「松前産」「松前住」とあることから、松前藩出身で同地在住だったと推測される。玉圓齋、龍(圓)齋とも号した[2]。作品以外に伝記は全く分からないが、松の木の定型化した描き方と、狩野派が好んで使用した壺形印を使っていることから、狩野派の流れをくむ絵師だとみられる。しかし、17世紀末から18世紀初めの松前に貞良の師となるような絵師はおらず、「蝦夷国漁場風俗図巻」にみられる近江商人との繋がりから、関西で絵を学んだと考えられる[3]。
描かれたアイヌの着衣や耳輪などの時代推定から、現存するアイヌ絵の中で最も先行すると考えられ、貞良のアイヌ絵を規範として描かれた作品も多く残っている。新作品の発見で、貞良を遡る絵師が発見される可能性はあるものの、貞良がアイヌ絵の様式の一つを確立した絵師だと評価できる。なお、貞良の子あるいは弟子とみられる小玉貞晨という絵師もいる。

