小網神社
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位置
北緯35度41分03.0秒 東経139度46分49.7秒 / 北緯35.684167度 東経139.780472度座標: 北緯35度41分03.0秒 東経139度46分49.7秒 / 北緯35.684167度 東経139.780472度
社格等
村社
| 小網神社 | |
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鳥居と本殿 ![]() | |
| 所在地 | 東京都中央区日本橋小網町16-23 |
| 位置 | 北緯35度41分03.0秒 東経139度46分49.7秒 / 北緯35.684167度 東経139.780472度座標: 北緯35度41分03.0秒 東経139度46分49.7秒 / 北緯35.684167度 東経139.780472度 |
| 主祭神 | 倉稲魂命、市杵島姫命 |
| 社格等 | 村社 |
| 創建 | 文正元年(1466年) |
| 札所等 | 日本橋七福神、下町八福神 |
| 例祭 | 5月18日 |
| 地図 | |
小網神社(こあみじんじゃ)は、東京都中央区日本橋小網町にある神社。「小網神社社殿及び神楽殿附棟札・造営関係資料」は中央区有形文化財となっている(1991年4月1日指定)[1]。
当地には元々恵心僧都源信が編んだ草庵があった。1466年(文正元年)、疫病が流行った折、この草庵に稲穂を持った老人が訪れ、数日間泊まった。その夜、庵主は恵心僧都の夢を見、「この老人を稲荷神として崇めれば、疫病は退散する。」というお告げを聞いた。翌朝、この老人の姿は消えていた。さっそく稲荷神を祀る神社を建てたところ、疫病も収まったという。領主の太田道灌もこの話を聞き、土地を寄進し、折に触れて参詣した[2]。
明治期の神仏分離により、別当寺「萬福寿寺」(その後廃寺)から分離し、1873年(明治6年)には近代社格制度における「村社」となった[2]。
1923年(大正12年)の関東大震災で社殿を焼失し、現社殿・神楽殿は、1929年(昭和4年)、大正期の明治神宮造営の工匠長・内藤駒三郎宮大工一門によって再建した。「昇り龍」「降り龍」などの彫刻が施されており、貴重な建築となっている[3]。
祭神
強運厄除
どぶろく祭
交通アクセス
- 人形町駅より徒歩5分。
