大化3年(647年)に制定された七色十三階冠の制で設けられた。大織・小織の冠は織物で作り、繡で縁どった。冠につける鈿は金銀で作った。深紫色の服を着用する規定であった[1]。
『日本書紀』に小織になったと記される人物はいない。斉明天皇7年(662年)9月に百済の王子豊璋に織冠を授けたとの記事があるが、大とも小ともない[2]。
七色十三階冠の制では、冠位十二階の上に新たな上位階梯が設けられ、従来は冠位制の外にあった大臣層に対応する大紫・小紫のさらに上に、大織・小織・大繡・小繡が置かれた。これら上位四階は制度上は最上位群に属するが、制定当初には該当者がいなかったとされ、小織もまた単に「上から二番目の冠位」であるだけでなく、七色十三階冠が空位を含む上位層を新設したことを示す冠位の一つとして位置づけられる[3][4]。
また、大織・小織については、唐の官品制や高句麗・百済・新羅との外交関係を意識し、外国の王・王族に与えることを想定した冠位であったとする説がある。『日本書紀』に小織の受位者が見えないことや、斉明天皇7年に百済王子豊璋へ授けた「織冠」が大織・小織のいずれかを明示しないことは、この冠位が国内官人の通常叙位とは異なる性格を持っていた可能性を示唆する[5][4]。
天武天皇14年(685年)1月21日の冠位四十八階の制で冠位の名称が全面的に変わり、廃止された[6]。