雄物川左岸、北側にある標高216メートル、比高差90メートルある丘陵先端付近に築かれた山城で、規模は本丸で南北40メートル、東西100メートルで、すぐ西側の二の丸は南北40メートル、東西70メートルで、三の丸は南北50メートル、東西70メートルである。本丸と二の丸の比高差は7メートル弱である。
当初、鎌倉時代にこの地に入った小野寺氏の家臣・姉崎四郎左衛門の居城と伝わるが、町田長右衛門が城主だった文禄2年(1593年)に最上氏に攻められ落城したという[1]。
2000年(平成12年)10月26日に湯沢市の史跡に指定された[1]。