小野尊光

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時代 幕末 - 昭和前期
改名 宗丸(幼名)[1][3]
 
小野 尊光
小野尊光
時代 幕末 - 昭和前期
生誕 嘉永2年12月8日1850年1月20日[1]
死没 昭和12年(1937年11月20日[1][2]
改名 宗丸(幼名)[1][3]
官位 従二位勲四等[4]
主君 明治天皇大正天皇昭和天皇
氏族 小野氏
父母 父:小野尊安、母:小野豊子
小野鑇子
尊正
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小野 尊光(おの たかてる)は、明治から昭和期の神職政治家華族貴族院男爵議員。天葺根命95代。

出雲国神門郡日御碕(現島根県出雲市大社町日御碕)で日御碕神社神職、94代天葺根命・小野尊安の長男として生まれる[1][3][4]。明治5年3月12日1872年4月19日)父の隠居に伴い家督を継承し尊光と改名[1][5]1873年(明治6年)10月、華族に列し、1884年(明治17年)7月8日男爵を叙爵した[1][6][7]

家督継承後、日御碕神社権宮司に任じられ、以後、同社権中講義、同宮司・権大講義、兼権少教正を歴任[3][5][6]。この間、遷宮を行った[8]

1901年(明治34年)4月27日、日御碕神社宮司を辞任[9]。同年6月6日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[10][11]1911年(明治44年)7月9日まで2期在任した[2]。この間、山陰本線の建設、日御碕灯台の設置、沿岸道路の整備などに尽力した[8]

1936年(昭和11年)5月30日に隠居し[1][12]、長男・尊正が同年7月1日に男爵を襲爵した[1][13]

親族

脚注

参考文献

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