尚享
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 久米具志川 朝盈 | |
|---|---|
| 摂政 | |
| 任期 1654年 – 1666年 | |
| 君主 | 尚質王 |
| 前任者 | 金武朝貞 |
| 後任者 | 羽地朝秀 |
| 個人情報 | |
| 生誕 | 1610年1月28日 (万暦38年1月4日) |
| 死没 | 1688年10月13日(78歳没) (康熙27年9月20日) |
| 童名 | 真山戸金 |
| 号 | 智元 |
| 唐名 | 尚亨 |
| 称号 | 王子 |
尚 享(尚 亨、しょう きょう、1610年1月28日(万暦38年1月4日) - 1688年10月13日(康熙27年9月20日))は、琉球王国第二尚氏王統の王族。大和名は久米具志川王子朝盈(ちょうえい)。金武御殿1世の尚久、大金武王子朝公の七男として生まれた。母は側室の真嘉戸樽。第8代尚豊王(尚久四男)の弟にあたる。伯父の護得久御殿1世・尚康伯、久米具志川王子朝通の養子となり、護得久御殿を継いだ。
1649年に、尚質王即位の謝恩使として江戸上りをしている。また、尚質王は即位前の一時期、尚享の養子となっていた。1654年には、尚質王の摂政に就任し、1666年までの間、第10代尚質王の摂政を務めた。
尚享は、聖人按司加那志(せいじんあじがなし)のあだ名で知られるように、有徳の名政治家として後世に伝わっている。羽地朝秀が子供の頃、その才の非凡であることを見抜き、自分の後継者にと教育したという伝承も残されている。尚享のあと、羽地朝秀が摂政を継いだ。