英祖 (琉球国王)
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系譜
史書によると、英祖は沖縄本島で最初に王朝を築いた神の子の王統とされる天孫氏の最後の王、思金松兼王[注釈 1](25代目)の四男・西原王子(思次良金)の世子である伊祖城の恵祖世主(浦添按司)の子であり、舜天王統の義本からの禅譲を受けたことで5代の国王が90年間にわたり英祖王統系図となった。英祖王統の基礎を作った国王とされる。また、彼の生誕時に母親が太陽を飲み込む夢を見た(『球陽』[3])ところから、「てぃだこ(太陽の子、の意)」とも呼ばれたという。
「古琉球三山由来記集」によれば仲昔中山英祖王の称号であり親の恵祖世主はやはり天孫氏後裔と伝わる。第一尚氏が興るまでの古琉球三山の按司豪族の多くが英祖に連なると伝わる[4]。
近年、漢文学者石井望は、福建漢字音で英祖が「あんず」(按司)、汪英紫氏が「おんあんじすい」(大按司添)、汪應祖が「おんあんず」(大按司)であるとして、古琉球の諸王について新解釈を試みている[5]。
治世
『おもろさうし』巻12・671では、「伊(ゑ)祖の戦思(も)ひ」と記されているが、この「いくさもい(イクサモヒ)」とは英祖の若い頃の尊称であり(『おもろさうし』の原注に記述あり)、「戦いに勝れた人」の意である[6]。
なお、英祖在位中の13世紀半ば、咸淳年間(1265年-1274年)に禅鑑なる禅師が小那覇港に流れ着いた。禅鑑は補陀落僧を称した。英祖はその徳を重んじ浦添城の西に補陀落山極楽寺を建立、琉球における仏教の始まりとされている。(『琉球国由来記巻十』・「琉球国諸寺旧記序」)
浦添市にある浦添ようどれは英祖の存在を示す数少ない史跡である[7]。
「日本への二度の元寇で日本上陸に失敗した元軍は1291年に沖縄への上陸を試みて沖縄へと攻め入ってきたが英祖が撃退した」といわれることがあるが、1291年に元軍が襲撃した「瑠求」は台湾のことであり、この逸話は「瑠求=琉球」と誤認したことから生じた空想であるとの説がある[8]。