尺所
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沿革
古代においては、備前国邑久郡の一部であったが、邑久郡・赤坂郡より分割・統合され藤野郡ができるとその一部となった後、『続日本紀』に神護景雲3年(769年)12月に藤野郡に代わり和気郡が成立とあり、同郡の一部となる。『和名抄』に載る和気郡新田郷(尓布多郷)の一部だとされ、古代の山陽道の駅がおかれた。その後、これに由来し駅所村と称していたが、中世になって尺所村に改めたといわれる[2]。
対岸の大田原とははじめ地続きで尺所村の内にあり、金剛川は尺所の南方を迂回するように流れていたといわれる。天正年間に金剛川が洪水で現在の流路へ流れを変え、尺所と大田原の間を流れるようになったとされ、尺所村から大田原が分離され、同村の枝村になった。また、尺所の内に下馬という集落があり、対岸の由加神社の馬場先で下乗下馬の制札の立っていたところといわれる。この地も金剛川が同神社との中間を流れるように変わったので地名だけが尺所内に残った[2]。
『吉備温故』には、岡山京橋まで7里、高237石3斗、田畑222町3反1畝1歩、家数76、男女416人、池1ヶ所とある[2]。
1889年(明治22年)6月1日、同郡福富村・衣笠村など5村と合併して本荘村を置き、大字尺所となる。1950年(昭和25年)4月1日に町制実施し本荘町に、1953年(昭和28年)4月1日の旧和気町との合併で和気町の大字となる[2]。
地勢
- 河川
主要施設
交通
参考文献
- 『県別マップル岡山県道路地図』昭文社(2013年)
- 巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社(1974年)
- 岡山県大百科事典編集委員会編集『岡山県大百科事典』山陽新聞社(1979年)
- 下中直也 『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』平凡社(1981年)