尼子高久
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一部の資料では、尼子氏の祖は塩冶高貞の遺児である塩冶玄貞(のりさだ)であるとされる[5]。高久に尼子郷(現在の滋賀県犬上郡甲良町)を与えるよう高秀に命じたのは、高久の祖父であり、バサラ大名として著名な佐々木道誉(京極高氏)ともされる。
貞治2年/正平18年(1363年)、京極高秀を父として生まれる。14世紀後期に近江国守護代に任ぜられた。尼子郷に館を構えて居したことから尼子と称す。明徳2年/元中8年10月11日(1391年11月7日)死去。享年29。
高久の子のうち、嫡男の詮久(のりひさ)は近江の所領を受け継いだ(近江尼子氏)。また、次男の持久は山名氏と係争状態にあった出雲に下向し、守護代となった(出雲尼子氏)。