尾道渡船

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土堂渡し場に到着する尾道渡船「にゅうしまなみ」

尾道渡船(おのみちとせん)は、広島県尾道市に所在し、同市の土堂渡し場と対岸の向島町兼吉を結び、おのみち渡し船株式会社によって運航される渡船(フェリー)である。東西に細長い尾道水道で本土と向島を結ぶ渡船の中の一つである。

最盛期は9つの航路があったが、現在は尾道駅前渡船兼吉渡しの2航路となった。

本項目では、上記を除くかつて存在した尾道水道の渡船についても解説する。

古くから「兼吉(かねよし)渡し」と呼ばれた。往時には「本渡し」とも称され、今も昔も尾道の渡船の代表格である。 公営化10年後の1962年には、24時間220便を運航し、1日に1万3千人を運んだという。

かつては尾道市と御調郡向島町(2005年3月28日に尾道市に編入された)が設立した一部事務組合 公営尾道向島渡船事業組合によって運営される公営の渡船であったが、1984年11月1日付けを以て事業をすべて譲り受け、尾道渡船株式会社として営業を開始していた。公営時代の名残で「公営渡船」と言っても地元では通じる。

歴史

尾道と向島を結ぶ渡船の中で最古といわれる航路であり、江戸時代の書物に登場する。人や物資の輸送とともに、不審者の島内への侵入を阻む警備の側面も大きかったといわれる。  

  • 1807年(文化4年) - 広島藩からお触れ(渡海規則書)が出て業としての渡し船に移行する。島民は無料だったので「只の渡し」と呼ばれる。
    • 明治になって有料化される、運賃に肖って「一文渡し」と呼ばれるようになる。
  • 1917年(大正11年) -  兼吉渡船組合が組織され経営が移る、それに伴い手漕ぎから発動機(焼玉エンジン)付き船に代わる、運賃から「1銭ポッポ」と呼ばれた。
    • なお、地元で「1円ポッポ」と呼ばれている渡船があるが、これは当航路ではなく福本渡船のことである。
      • 1919年(大正13年) - 神原造船製 焼玉エンジン搭載の箱型船(4t)が彦ノ上渡船(→しまなみフェリー 2008年廃航)に納入される。これが瀬戸内型フェリーの原型といわれる。
  • 1951年(昭和26年)- 尾道市・向島町・向東村・立花村・岩子島村の1市4か町村によって「公営尾道向島渡船事業組合」が創設。
  • 1952年(昭和27年) - 他の渡船業者と共に運賃を5円に値上げしたが、福本渡船は追随せず運賃1円を維持したため乗客が流れ売上が半減、経営難に陥る。
  • 1953年(昭和28年) - 公営化される、福本渡船への対抗策として運賃2円50銭で運航開始する。第一・第二公営丸(11t)二隻が建造される。
    • 同年6月1日 同渡船で初めての自動車航送が行われる。
  • 1954年(昭和29年) - 向島町営バス運行開始、兼吉が島内バスのターミナルになる。
  • 1960年(昭和35年) - 第八公営丸(52t 福本造船)が建造される。
    • 鋼製となり現在に続く両頭船になる、大型車の航送も可能となる。
    • 余剰になった第五公営丸(18t)を向島町が購入し町営岩子島渡しに転用、向島-岩子島間の自動車航送に対応。
  • 1962年(昭和37年) - 第十公営丸(82t 福本造船建造)が増備され、同型船二隻運航体制になる。
  • 1963年(昭和38年) - 第十二公営丸(44t 日立造船桜島工場 1932年建造) 中古船 客室なし
  • 1965年(昭和40年) - 第十四公営丸(124t 神原造船建造) 1976年に因島汽船に売却され第十五重井丸
  • 1968年(昭和43年) - 尾道大橋が開通、以後利用減に悩むこととなる。
    • 収益の柱であった大型車の利用が以前の1割にまで落ち込み、大きな打撃となる。
  • 1974年(昭和49年) - この頃、当時在籍3隻が防火工事を受ける。
    • 1973年大三島沖でのフェリーひろしま火災事故を教訓にした行政指導によるもの。
    • 具体的には、客室に非常扉を増設、客室車両甲板側窓が鉄板で埋められた等。
  • 1976年(昭和51年) - 小型船(19t 神原造船建造) 第1・第2兼吉丸が新造され、自動車航送が中止となる。
    • 第八・第十公営丸の売却に手こずる。
  • 1984年(昭和59年) - 民間に売却され、尾道渡船(株)が運航開始。
    • 自動車航送が再開され、第1・第2兼吉丸がブリッヂ(操舵室)部分を50cm嵩上げ改造される。
  • 2000年(平成12年) - 第1兼吉丸が桑田渡船に移籍、桑田渡船の第十二天神丸(元 第十公営丸)が廃船となる。
    • しまなみ海道開通時に自動車航送を廃止した駅前渡船より、第十向島丸(98t 神原造船)が転入。
  • 2003年(平成15年) - にゅうしまなみ(19GT 石田造船)就航、日本初のバリアフリー法適合フェリーとなる。
  • 2007年(平成19年) - 第十向島丸が運用離脱、しまなみフェリーより第一しまなみ(96t 神原造船)が転入。
  • 2013年(平成25年)4月 - 尾道大橋通行料無料化後は自動車航送がさらに落ち込み、尾道の渡船は厳しい経営環境に置かれる。
  • 2020年(令和2年)8月 - 尾道市が向島運航(駅前渡船)と尾道渡船の民営渡船2航路を、2021年春にも市の第三セクターである歌戸運航が引き継ぐことを検討中であると明らかにした。なお福本渡船は単独存続の意向を示している。
  • 2021年(令和3年) - 2月に向島運航(駅前渡船)と尾道渡船の2航路の歌戸運航への譲渡申請が中国運輸局に提出され3月に認可される、2航路は3月末日をもって歌戸運航に譲渡、5月には存続会社である歌戸運航が社名変更し おのみち渡し船 株式会社となる。
  • 2025年(令和7年)4月1日 - 福本渡船が廃業

エピソード

  • チャック(ズボンのチャック・ファスナー)という造語をした日本開閉器工場は、兼吉側桟橋を降りて直ぐ左側(東隣)にあった。現在パチンコ店の在る場所である。
  • 1999年しまなみ海道開通イベント「兼吉レトロタウン」が、尾道渡船向島側広場で催され、予想を遥かに上回る集客となった。同渡船の施設は普段の姿でレトロを担った。
  • 渡船の船長の中には、公営渡船開所時から勤続半世紀以上の船長が実在する。
  • 2006年8月しまなみフェリー、2008年12月駅前渡船と相次いだ桟橋沈没事故の際には、両渡船の振替輸送を行った。
    • ちなみに尾道渡船の両岸桟橋も、堂々の勤続半世紀である。
  • NHK連続テレビ小説「てっぱん」では、瀧本美織扮する村上あかりが利用している渡船として撮影された。

他の尾道水道の渡船

脚注

外部リンク

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