屋嘉比朝寄
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1716年1月19日、首里において玉川按司朝雄(たまがわあじちょうゆう)の四男として生まれる。
幼時から音楽の才に秀で、青年の頃、尚敬王の命により薩摩藩に遊学して謡曲や仕舞を習得した。帰国後は、専ら謡曲の師として王家に仕え、謡曲と舞踊の普及に努めていたが、重い眼病を患って盲目となった。その後、三線の聞覚流の祖で湛水親方より4代目に当たる照喜名聞覚の弟子となって三線を学び、謡曲や日本俗曲を採り入れ、従来の歌唱法に改良を加えて新しい楽風を樹立するとともに、中国の記譜法を参考にしながら、漢字を使った独特の符号によって三線の音階(ツボ)を示す記譜法を編み出し、琉球譜である「屋嘉比工工四」を創案した。その楽風はのちに「当流」と呼ばれた。
作品
- 『屋嘉比工工四』(やかびくんくんしー)
- 『上り口説』(ヌブイクドゥチ)
後世への影響
親族
- 父:向文明・玉川按司朝雄(与那城御殿三世)
- 母:不明
- 長兄:尚全徳・玉川王子朝計(与那城御殿四世)
- 次兄:向全才・小波津親方朝昆(向氏小波津家系祖)
- 三兄:向全勲・渡嘉敷親雲上朝喜(向氏喜久山家系祖)
- 妻:真伊奴(まいぬ、1721年 - 1755年) - 糸満里之子親雲上盛善と毛氏識名親方盛誠女思亀の次女
- 息子:朝邑(ちょうゆう、唐名・向元俊)
- 娘:不明、毛氏豊城親雲上盛栄に嫁ぐ
弟子
屋嘉比朝寄には2人の高弟がいた。
- 豊原 朝典(とよはら ちょうてん、1740年 - 1803年)
- 真玉橋家七世の祖、朝正親方の四男家の後と伝わる。屋嘉比朝寄に学び知念績高に伝えた。
- 仲田 朝朗(なかた ちょうろう、1742年 - 1814年)
- 天才的な声楽家。『屋嘉比工工四』を編集し、『絃声の巻』を著す。