山中貞幸 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代生誕 文明17年(1485年)死没 永禄3年2月24日(1560年3月20日)改名 宗幸(初名)→貞幸 凡例山中貞幸時代 戦国時代生誕 文明17年(1485年)死没 永禄3年2月24日(1560年3月20日)改名 宗幸(初名)→貞幸別名 通称:弾三郎官位 大蔵大輔(官途名)主君 尼子経久氏族 黒田氏→山中氏父母 父:黒田治宗兄弟 黒田治重、男子、貞幸子 満幸?、信直?テンプレートを表示 山中 貞幸(やまなか さだゆき)は、戦国時代の武将。尼子氏の家臣。最初に山中氏を名乗った人物である。 文明17年(1485年)、黒田治宗の三男として誕生。 出雲国へ赴き、当時勢いのあった出雲の戦国大名・尼子経久に仕えて、功をあげ侍大将となった。その後は出雲の白鹿城[1]主となり4千貫を領した。後に山中大蔵大輔貞幸と称し、武勇の誉れが高かったと伝えられ76歳で死去したといわれるが、最初に山中姓を名乗った事以外の詳しいことは一切不明である。 脚注 ↑ 白髪山、島根県松江市。 出典 宮本又次『鴻池善右衛門』 吉川弘文館 1957年 2~3頁 先代黒田治宗 山中氏歴代当主? - ?年 次代山中満幸(山中久幸) Related Articles