山内直元 From Wikipedia, the free encyclopedia 生誕 (1896-10-18) 1896年10月18日愛知県尾西市死没 (1970-03-09) 1970年3月9日(73歳没)死因 肺炎国籍 日本やまうち なおもと山内 直元生誕 (1896-10-18) 1896年10月18日愛知県尾西市死没 (1970-03-09) 1970年3月9日(73歳没)死因 肺炎国籍 日本出身校 東京帝国大学法学部職業 実業家栄誉 勲二等瑞宝章(1969年)[1] テンプレートを表示 山内 直元(やまうち なおもと、1896年(明治29年)10月18日 - 1970年(昭和45年)3月9日)は、日本の実業家。住友銀行常務取締役、日本教育テレビ(NET、現:テレビ朝日)社長を務めた。 NET社長に担ぎ出される 愛知県尾西市出身[2]。1920年(大正9年)東京帝国大学法学部を卒業後、住友銀行に入行[2]。 ニューヨーク支店長、常務・東京支店長を経て、1947年(昭和22年)2月から統括常務に就任し、事実上のトップとなるが、8月に公職追放となる[3]。1958年(昭和33年)5月に復帰し監査役を務める[2]。 NETにおける大川・赤尾紛争のあと、社長から退陣した大川博に代わる体制を、旺文社、東映、日本経済新聞社、そして首尾よく経営の一角に食い込むことになった朝日新聞社の四社で協議をしたがまとまらなかった[4]。このため、日経の圓城寺次郎が知恵を出し、旺文社の赤尾好夫が懇意にしていた日本化薬の原安三郎に調停役になってもらい、1965年(昭和40年)3月、原の推薦で四社共通の主力銀行だった住友銀行OBである山内が担ぎ出され、NET第4代社長に就任した[4][2]。このほか、日本民間放送連盟理事、日本民間放送教育協会理事長、北海道テレビ放送取締役なども歴任した[5]。 1970年3月9日、肺炎による心臓衰弱で死去[5]。73歳没。 脚注 [脚注の使い方] ↑ 1970年3月10日 読売新聞 朝刊 p15 1 2 3 4 人事興信所 1969, や84頁. ↑ 1965年3月18日 朝日新聞 朝刊 p5 1 2 中川 2019, p. 79. 1 2 1970年3月9日 朝日新聞 夕刊 p11 参考文献 中川一徳『二重らせん 欲望と喧噪のメディア』講談社、2019年12月。ISBN 978-4065180877。 人事興信所 編『人事興信録 第25版 下』人事興信所、1969年。 表話編歴テレビ朝日歴代社長歴代社長 赤尾好夫 1957.11-1960.11 大川博 1960.11-1964.11 赤尾好夫 1964.11-1965.3 山内直元 1965.3-1970.4 横田武夫 1970.4-1974.11 高野信 1974.11-1981.6 中川英造 1981.6-1983.6 田代喜久雄 1983.6-1989.6 桑田弘一郎 1989.6-1993.6 伊藤邦男 1993.6-1999.6 広瀬道貞 1999.6-2005.6 君和田正夫 2005.6-2009.6 早河洋 2009.6-2014.6 吉田慎一 2014.7-2016.6 角南源五 2016.6-2019.6 亀山慶二 2019.6-2022.2 早河洋 2022.2-2022.6(会長兼務) 篠塚浩 2022.6-2025.6 西新 2025.6- 歴代会長 大川博 1957.11-1960.11 赤尾好夫 1960.11-1964.11 赤尾好夫 1965.3-1985.9 伊藤邦男 1999.6-2000.6 広瀬道貞 2005.6-2008.6 君和田正夫 2009.6-2012.6 早河洋 2014.7-現在 歴代テレ朝HD社長 早河洋 2014.4-2014.6 吉田慎一 2014.6-2022.6 篠塚浩 2022.6-現在 ※日本教育テレビ(NET)時代から通しで記載。社名・通称の変更は、1回目に6代目社長(高野信)時代に(日本教育テレビ/NET→ 全国朝日放送/テレビ朝日/ANB)、2回目に11代目社長(広瀬道貞)時代に実施(全国朝日放送/テレビ朝日/ANB → テレビ朝日/EX)。 Related Articles