中学校時代はバレーボール、高校からはサッカーを始めた。
大阪経済大学卒業後、東洋工業(現、マツダ)に入社、東洋工業サッカー部(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島)に所属し、1978年には古田篤良、渡辺由一、安原真一らと天皇杯準優勝に貢献。
1983年は中国サッカーリーグのマツダオート広島サッカー部に所属し、リーグ得点王となる。1984年は、JSL2部に落ちていたマツダSCで再びプレーした。現役引退後もマツダに社員として勤務。マツダ親和会サッカー部コーチ、国体広島女子U-15コーチなどを勤めた。