京都高等蚕糸学校卒。1938年1月10日、姫路の歩兵第39連隊補充隊へ入隊。1939年、陸軍中野学校の前身とする陸軍後方勤務養成所に派遣され複数の偽名を使い分ける。1940年、陸軍中野学校の学生係に任官。1941年、陸軍参謀本部第8課に配置転換。7月28日、中尉へ昇進。杉山元参謀総長からの藤原と共にタイ国バンコクを命ぜられる。同年9月13日、飛行機搭乗中に腹痛を起こし、藤原と一緒に同乗していた辻政信が対処し台湾で中垂炎の手術を受ける。9月23日バンコクに着任、田村浩大佐の指揮を受けインド独立連盟工作に従事[1]。F機関員の土持則正大尉、米村弘少尉、瀬川清治少尉、滝村正巳軍曹と合流する[2]。