滝村正巳

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死没 1945年4月11日(1945-04-11)
軍歴 ? - 1945(日本陸軍)
滝村 正巳
生誕 生年不詳
日本の旗 日本 岐阜県高山市大新町
死没 1945年4月11日(1945-04-11)
所属組織 大日本帝国陸軍
軍歴 ? - 1945(日本陸軍)
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滝村 正巳(たきむら まさみ、生年不詳 - 1945年4月)は、日本の陸軍軍人スパイ

太平洋戦争においてF機関工作員としてタイに潜伏、インド国民軍の編成や戦後のインド独立英語版に影響を与えた藤原岩市の指揮でマレー作戦に従事。ビルマ作戦にて戦没。

母、滝村みその子として出生。富山歩兵三十五連隊入隊。陸軍省防衛課勤務[1]陸軍中野学校丙1[2]。太平洋戦争開戦直前、藤原機関(F機関)に配属された滝村は、通訳に雇われた学生石川義吉と共に東京からタイへ派遣され、シンゴラ大使館領事の武官書記に扮し配置される[3]。1941年当時の階級は軍曹であった。尚、同じ藤原機関員で立場が上だった中宮悟郎中尉、米村弘少尉、瀬川清治少尉は滝村より歳下であった。

マレー作戦

太平洋戦争が開戦すると、滝村はタイから英領マレー半島へ進出、スリムにて石川と共にインド兵捕虜の投降工作に従事する[4]。投降を呼びかける際、藤原機関員は非武装で応じることが求められた。捕虜が百十数名までに増えると、藤原の命により捕虜と共にクアラルンプールへ進軍した[5]。 懐柔したインド兵捕虜が増員され、インド国民軍へ発展すると、藤原はモーハン・シン大尉の提案により、土持則正大尉配下のもと藤原機関ビルマ支部を結成[6]。1942年2月25日[7]、滝村は石川、マレー語通訳兼運転手担当の北村義夫[8]、ランスループ少佐傘下のインド兵50名と共に英印軍捕虜を求めビルマ(現ミャンマー)へ進出した[9]。尚、藤原機関員の拡大により後から充足された国塚一乗少尉の著書には滝村の名はなく、何かしらの事情か、あるいは接点が薄かったとみられる[10][11]

ビルマ作戦

藤原機関が岩畔機関へ改編されると、滝村、石川、北村は北部邦雄中佐の傘下となり、岩畔機関ビルマ支部に編入となった[12]。その後更に再編されることとなり、塚本繁の下石川と特務宣伝に従事[13]。光機関に再編されると、滝村は伊野部重珍大尉の下メイミョウ出張所に配置された[14]

最期

脚注

関連項目

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