東京都に生まれる。1939年に彦根高等商業学校(滋賀大学経済学部)を卒業し、同年ラサ工業に入社した。入社後は営業部門で勤務した[1]。
1944年に応召して中国へ渡り、満州で終戦を迎えた。その後、ソ連に抑留され、シベリアで生活を送った。1949年に復員後はラサ工業に復職し、再び営業畑を歩んだのち、財務部次長、経理部長を歴任した[1]。
1966年に取締役、1969年に常務に就任し、1971年に社長へ昇格した[1]。
社長在任中は、不採算であった鉱山部門の整理を進め、肥料・製錬・薬品・機械の4部門を中心とする事業体制の整備に取り組んだ。また、四事業本部を統轄する事業本部長として営業強化にもあたった[1]。
1979年4月、社長を退任し、取締役相談役に就任。赤字業績に一定の上向きの見通しが立ったことを機に、後任の関水氏へ社長職を引き継いだ[2][3]。