山口雪渓
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長谷川等伯の四男長谷川左近(1593年 - ?)の門弟とされる[3]。両者は生年が50歳以上も離れており直接師事したとは考えにくいが、「桜楓図屏風」(醍醐寺蔵)の作風から長谷川派に学んだ可能性は高い。また、京狩野の狩野永納に学んだとする説もある。粉本主義に反発し、宋・元時代や室町時代から桃山時代の水墨画に傾倒した。特に雪舟と牧谿に私淑し、一字ずつもらい雪渓と号したという[4]。東之寺内に住み、墓所は中京区の善導寺。
仏画の遺作が多い一方、水墨画の花鳥画や人物画は、狩野派の特に狩野永徳や海北友松に倣った復古的な画風を示す。寛政4年(1792年)版『諸家人物志』では「花卉人物ヲ描クミナ奇想ニ出ツ」と、その画風を「奇想」と評している。中林竹洞は著書『画道金剛杵』付属の「古今画人品評」で、下上品の唐絵の項目に雪渓を挙げている。
弟子に、後に望月派の派祖となる望月玉蟾がいる。