山本盛珉

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山本 盛珉(やまもと もりたか、享和2年(1802年4月27日 - 慶応元年(1865年11月28日)は、日本薩摩藩士。山本権兵衛の実父であり、藩の右筆および槍術師範、藩主の書道指南を務めた。示現流・鏡智流・鎌倉流などの武芸に通じる一方で、書道花道・詩歌にも秀でた文武両道の人物として知られる。通称五百助

山本盛珉の筆跡

盛珉は薩摩藩士・山本盛賢(七郎)の長男として生まれる[1]。祖父の盛備に学問を学び、のちに造士館教授にして修学した。その後、江戸藩邸に詰め、林大学頭および佐藤捨蔵に入門して研鑽を積んだ[1]

書道と花道に通じ、示現流の剣術、鎌倉流の馬術、鏡智流の槍術、大蔵流の弓術に達したと伝えられる。藩では右筆として出仕し、藩主の書道指南も務めた[2]。歌人・八田知紀とは竹馬の友であった。

慶応元年(1865年)11月28日に病没した[2]。諡号は梅花院。

盛珉は動植物の絵画数十巻、詩歌などを収めた書帖を多く残し、それらは山本家に伝わる[2]

家族・系譜

後妻・山本常子の写真

盛珉は二度婚姻している。最初の妻・三原氏は文政12年(1829年)に死去。のちに池田氏から常(1816年-1883年)を娶った[3]

7男5女をもうけ、子孫の多くが軍人・官僚として活躍した。

三原氏との子

  • 長男:盛政(尚之助) - 安政5年(1858年)死去
  • 長女:ゆき(文政10年(1827年) - 明治27年(1894年)) - 平田氏に嫁ぐ

池田氏との子

教育

脚注

参考文献

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