山本秀樹 (内野手) From Wikipedia, the free encyclopedia 生年月日 (1955-01-02) 1955年1月2日(70歳)身長体重 176 cm68 kg投球・打席 右投右打ポジション 内野手山本 秀樹基本情報生年月日 (1955-01-02) 1955年1月2日(70歳)身長体重 176 cm68 kg選手情報投球・打席 右投右打ポジション 内野手経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) 選手歴 関商工高校 名城大学 大昭和製紙 ヤマハ発動機 日本楽器ヤマハ 監督・コーチ歴 ヤマハ この表について この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。 ■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 山本 秀樹(やまもと ひでき、1955年1月2日 - )は、元アマチュア野球選手・指導者である。ポジションは内野手。 関商工高校では、1971年秋季中部大会県予選決勝リーグに進むが、4校中3位に終わる。名城大学に進学。愛知大学野球リーグでは、1975年秋季リーグで優勝を経験。 大学卒業後は社会人野球の大昭和製紙に入社。初出場となる1977年の都市対抗では二塁手として出場。1回戦で電電中国と対戦し、俊足を武器に9回裏にサヨナラホームスチールを決める[1]。1979年の都市対抗では準々決勝に進出。日産自動車に敗退するが打撃賞を獲得し、同年の社会人ベストナインにも選ばれた[2]。1980年の都市対抗ではエース杉本正が好投、決勝で札幌トヨペットに大勝し優勝を飾る[3]。 1981年に大昭和製紙硬式野球部が休部、ヤマハ発動機に移籍する。1982年の社会人野球日本選手権では決勝に進出、辻発彦らのいた日本通運を降し初優勝を飾る[4]。同大会の優秀選手賞を獲得。しかしここも1983年に休部となり日本楽器に移籍する。1986年の都市対抗では10年連続出場表彰を受け、引退までに15年連続出場も果たした。1987年の都市対抗でも打撃賞を獲得する[5]。1985年、1990年にも、社会人ベストナインに選ばれている。 その後、ヤマハで監督を務めた。 脚注 [脚注の使い方] ↑ 「日本社会人野球協会会報1977」日本社会人野球協会 1978年 ↑ 「日本社会人野球協会会報1979」日本社会人野球協会 1980年 ↑ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年 ↑ 「社会人野球日本選手権大会20年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1994年 ↑ 「日本社会人野球協会会報1987」日本社会人野球協会 1988年 関連項目 名城大学の人物一覧 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。表示編集 Related Articles