山本雅之
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山本雅之 (やまもと まさゆき) | |
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![]() 日本学士院より公表された肖像 | |
| 生誕 |
1954年9月27日(71歳) |
| 居住 |
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| 国籍 |
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| 研究分野 |
医学 分子生物学 |
| 研究機関 |
東北大学 筑波大学 ノースウェスタン大学 |
| 出身校 | 東北大学 |
| 博士課程指導教員 | 菊地吾郎 |
| 他の指導教員 | James Douglas Engel |
| 主な受賞歴 |
紫綬褒章 日本学士院賞 |
| プロジェクト:人物伝 | |
山本 雅之(やまもと まさゆき、1954年 <昭和29年> 9月27日- )は、日本の医学者。学位は医学博士(東北大学・1983年)[1]。学位論文は「δ-アミノレブリン酸合成酵素の合成と細胞内移行のヘムによる調節に関する研究―Studies on the regulation of synthesis and intracellular of δ-aminolevulinate synthase by heme」[2]。東北大学医学系研究科特別栄誉教授[3]。紫綬褒章[4]、日本学士院賞受賞者[5]。群馬県渋川市出身[6]。
米国ノースウェスタン大学博士研究員[7]、筑波大学先端学際領域研究センター (現生存ダイナミクス研究センター) 教授、東北大学医学系研究科教授、東北大学副学長、東北大学大学院医学系研究科・研究科長、東北メディカル・メガバンク機構・機構長などを歴任した[1]。
「生体の環境適応・応答の分子機構」に関する研究で、2012年に紫綬褒章、2014年に日本学士院賞を受賞した[4][5]。
- 1954年 群馬県利根郡水上町に生まれる
- 1973年 群馬県立渋川高等学校卒業[8]
- 1979年 東北大学医学部卒業
- 1983年 東北大学大学院医学研究科修了(医学博士)
- 1983年 米国ノースウェスタン大学博士研究員
- 1986年 富山医科薬科大学助教授
- 1989年 米国ノースウェスタン大学上級研究員
- 1991年 東北大学医学部講師
- 1995年 筑波大学先端学際領域研究センター/基礎医学系教授
- 2002年 -2007年科学技術振興機構(ERATO)環境応答プロジェクト研究総括責任者[9]
- 2004年 ジョンズ・ホプキンズ大学客員教授[10]
- 2007年 -2023年 東北大学大学院医学系研究科教授
- 2008年 -2012年 東北大学大学院医学系研究科長・医学部長・副学長
- 2012年 -2026年 東北大学東北メディカル・メガバンク機構・機構長・教授[3]
- 2018年 -2019年 日本生化学会会長[11]
- 2024年 JAXA 有人宇宙技術部門 宇宙医学研究ディレクタ[12]
受賞歴
- 1995年 東北大学医学部奨学賞・金賞[13]
- 2007年 つくば賞[14]
- 2008年 日産科学賞[15]
- 2010年 東レ科学技術賞[16]
- 2011年 Leading Edge in Basic Science Award (Society of Toxicology)[17]
- 2012年 上原賞[18]
- 2012年 紫綬褒章[19]
- 2013年 高峰記念第一三共賞
- 2014年 日本学士院賞[5]
- 2016年 日本毒性学会特別賞[20]
- 2020年 FAOBMB Award for Research Excellence[21]
- 2021年 Lester Packer Award, Society for Free Radical Research[22]
- 2023年 安藤百福賞優秀賞[23]
2018から8年連続、Clarivate Analytics社のHighly Cited Researchers(高被引用論文著者)に選出されている[24]。
主な研究活動
- がんを発生させる物質や活性酸素の解毒といった、細胞内の解毒の仕組を長年研究している[25]。具体的には、GATA転写因子群による血液細胞分化、KEAP1-NRF2システムによる酸化ストレス応答機構、低酸素ストレス応答などをテーマに研究を行っている[26]。
- 2011年の東日本大震災の直後、東北大学医学系研究科長として地域医療の再構築に奔走し、2012年に東北メディカル・メガバンク機構を自ら提案・立ち上げ、機構長として被災地の健康データバンク構築に取り組んだ。その成果を基盤としてゲノム情報を活用した個別化予防医療の実現を目指し、地域住民の健康増進と次世代医療モデルの創出に貢献した[3]。
- 「生体防御機能強化による宇宙ストレス克服法の開発」「健康長寿社会の実現」をテーマに、国際宇宙ステーション(ISS)日本実験棟「きぼう」のプロジェクトに採用されている[27][28]。2021年度~2022年度の宇宙飛行士候補者募集・選抜において宇宙飛行士審査委員会の外部委員を務めた[29]。
- 赤血球の研究に従事する中で、その臨床的な重要性だけでなく、スポーツ界における不正利用(ドーピング)の課題にも着目している。日本アンチ・ドーピング機構(JADA)の「ドーピング検査技術研究開発事業」に参画し、禁止物質やその代謝動態を捉える高精度な検出システムの開発に取り組んでいる。アンチ・ドーピング活動を「公正な競争を支え、人類の限界に挑むアスリートをリスペクトし、守るためのシステム」と位置づけ、科学的データに基づいた公平な競技環境の構築を提唱している[30]。
人物・エピソード
- 研究において、「合理主義と実証主義」、「批判精神」の重要性を述べている[31]。組織において、「尊敬と友情」が大事であると述べている[32].
- James Douglas Engelが主宰する研究室に留学し、彼に師事している[33]。当時Engelは35歳、山本は28歳であり、充実した研究活動を送ったことを山本自身のエッセイで述べている[34]。最初の共著論文は、ニワトリの赤血球型δ-アミノレブリン酸合成酵素をコードするcDNAの同定に関するものであり、1985年にProceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America に掲載された[35]。Engelとの出会いは、山本の研究に大きな影響を与え、帰国後もEngelと様々な共同研究を実施している[36]。
- 山本は、人の名前や経歴をよく記憶していることで知られている。名前だけでなく、その人物の出身地や背景まで覚えていることも多く、その記憶力の確かさで周囲を驚かせている[37]。
- 東日本大震災発生時、山本は東海道新幹線に乗車していた。東京には無事到着したものの、仙台は交通網が途絶し孤立状態にあった。東北大関係者から「雪が降り寒く、多くの人が大学の体育館に避難している」との連絡を受けた山本は、リース会社から布団600セットと毛布2,000枚を借り受け、トラックに積み込んで自ら同乗し、仙台まで運搬した[38]。
- 2025年10月21日、フジテレビの朝の情報番組「サン!シャイン」において、ノーベル生理学・医学賞の受賞が期待される研究者として、研究内容とともに紹介された[37]。
- 野球(観戦)を好む。シカゴ近郊に所在するノースウェスタン大学への留学を機に、シカゴ・カブスのファンであることを公言している[37]。
