山近剛太郎

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山近 剛太郎(やまちか ごうたろう[1][2]1902年明治35年〉9月28日[3] - 1990年平成2年〉)は、日本の炭鉱技術者、洋画家。自身が経験した炭鉱の採掘作業や鉱山事故を題材に、油彩水彩で描いた記録画で知られる[4]

福岡県鞍手郡宮田町(現・宮若市)に産まれる。若いころから絵画に興味があり[4]、中学校時代には画塾にも通っていた[1][2]九州帝国大学採鉱科卒業[3]

1926年(昭和元年)、貝島太助が社長を務める貝島炭鉱に入社し、炭鉱の採掘現場で技術指導や監督にあたった。後には貝島炭鉱の役員として1972年(昭和47年)まで炭坑に入り[4]、特に炭鉱の防災体制の確立に貢献した[5][6]。この間にも、坑内の風景をスケッチし[6]1947年(昭和22年)-1949年(昭和24年)頃には、福岡で画塾を主宰していた洋画家である、手島貢(創元会会員)の下で絵を学んでいた[4]

1970年(昭和45年)、翌1971年(昭和46年)に開館する直方市石炭記念館に飾る油彩画の作成依頼を受け、本格的に油彩画を描き始めた[1][2][4]。その後も、宮田町石炭記念館(現・宮若市石炭記念館)開館に伴う記録画も描くなど、炭鉱を題材にした作品を描いた[4]

1990年平成2年)に88歳で死去。

2013年平成25年)、原爆の図丸木美術館で山近や山本作兵衛などの炭鉱記録画や写真帳を展示した「坑夫・山本作兵衛の生きた時代~戦前・戦時の炭坑をめぐる視覚表現」が開催された[6]

画風

主な作品

出典

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