山都そば
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歴史

山都町では、自宅で打った蕎麦をハレの日や来客のもてなしとして供する風習があった[2]。
中でも山都町の宮古地区は稲作には適していなかったため古くからソバが主食であった[5]。日中と朝晩の寒暖差が大きいことと、飯豊山の万年雪から解け出す伏流水とがソバの育成には適しており、良質なソバの産地として知られていた[1][5]。
昭和50年代に県道工事などが盛んになると工事関係者や福島県職員が宮古地区を訪れる機会が増え、その人たちが宮古地区で食べた蕎麦をもう一度食べたいと評判を呼び、福島県庁の議員食堂や「知事のそば会」などで宮古そばが提供されるようになり、人気に火が付いた[5]。宮古地区の農家で輪番制によって宮古そばを提供する店を開いたものの、当初は完全予約制であり、宮古地区が市街地から遠く離れていることと併せて「幻のそば」と呼ばれるようになった[5]。
1984年(昭和59年)から山都町商工会(現・きたかた商工会)は地域振興事業として宮古そばに着目し、東京から講師を招いた「そば大学」を開くと共に、蕎麦打ちの技術を磨き、山都そばとしてブランドを確立させた[1][5]。
産地の宮古地区の店には、古くからの名称である「宮古そば」を掲げる店もある[1]。2000年代初め頃時点では、宮古集落の約30戸のうち13戸がそばを提供する予約制の農家食堂を開いていた[6][7]。