練馬区出身[1]。1939年から東京市板橋区役所練馬派出所に勤務[1]。在職中に[1]日本大学専門部法律科卒業[1][3]。1947年に板橋区からの分区で練馬区が成立し、練馬区役所勤務となる[1]。練馬区学務課長(1960年-1965年)[3]、庶務課長(1965年-1966年)[3]、納税課長(1966年-1968年)[3]、財務課長(1968年-1971年)[3]、予算課長(1971年)[3]、区民部長(1971年-1973年)[3]などを務めた。庶務課長時代の1964年、学校給食センターにまつわる汚職事件で、東龍太郎都知事から懲戒処分を受けた[4]。1973年に区教育長に就任[1][3]。
1986年秋、練馬区長の田畑健介が健康上の理由で翌年の区長選不出馬を表明。同年12月、岩波は自由民主党・公明党・民社党の推薦を受けて立候補する意向を表明[4]。
1987年1月、井田恵子と篠原一を代表者とする「女性区長をつくる練馬区民の会」が結成され、同グループは日本婦人有権者同盟会長の本尾良に白羽の矢を立てた。本尾は断り続けていたが、2万人の出馬要請の署名を前にして決断。2月3日に会長職を辞任し、同月5日に出馬表明した[4]。
同年4月26日に行われた区長選挙は岩波と、社会党・共産党・社民連の推薦を得た本尾の一騎打ちとなり、岩波が本尾を下し初当選した[5]。2003年まで区長を4期務めた。
2008年、名誉区民に選ばれる[6]。